« 筑波大学付属高校、ここは評価できる! | トップページ | 桐山清澄九段 »

キエフの大門(好きな音楽2022年2月)

ウクライナの首都キエフ。キエフと言えばキエフの大門。そして「展覧会の絵」。

今月ほど展覧会の絵を聴いた月はないかな、、、と思っています。ピアノ版、ラベル版、ウッド版、ストコフスキー版、ギャルド版、PJBE版、冨田勲版、などなど。昔は、冨田版は愛聴していたのだけど、今聴くとあまり面白くない、、、

今回、ヘンリー ウッド卿の編曲したVersionがあることを始めて知り、Youtubeで聞いてみました。チャンバラ劇みたいな感じがする、というと失礼かもしれませんが、随分メリハリがあって、楽しい。ラベル版の前身、というように感じます。PJBEは、ウッド版を随分参考にしたのではないかな、、、という感じがします。

さて。ここからが本題。

M.ムソルグスキーが作曲した「展覧会の絵」は、1874年に開催されたハルトマンの遺作展の中から選んだ絵画からのインスピレーションで作曲されたと言われています。実際、どの画を用いたのか、の同定を試みたNHK番組を視聴したことがありますが、ハルトマンもムソルグスキーもロシア国民楽派というか、民族に根差した芸術を志した芸術家。ムソルグスキーは、ロシア五人組、などと言われているほど、ロシア的なモチーフにこだわっています。

そのムソルグスキーが、やはりロシア・ラブなハルトマンの絵画展を見て作曲した組曲、その最後が、「キエフの大門」です。

ここで気になるのが、なぜ、しめくくり、つまり組曲の最後にキエフの大門を持ってきたのでしょうか?

ロシア、当時はペテルスブルクが首都でしたから、ペテルスブルクを題材にした絵を用いる、というのが無風凧的には自然な気がします。また、今回初めて知ったのですが、ロシアは、ウクライナを属国化する為に1863年にウクライナ語禁止法(ヴァルーエフ指令)」、そして1873年には出版などを禁止するエムス法が定められています。この事実だけを考えれば、キエフのポジションは随分下がっているように見えます。つまり、最終曲にするだけのポテンシャルがキエフには無い。

更に。ウクライナの民族音楽と言えば、コサック(ちょっと短絡ですが)。ムソルグスキーは、コサック音楽を使っていない。キエフをイメージする際に、コサック音楽ではない、ということは、キエフを表す音楽としては何をイメージしたのだろう?「キエフの大門」の音楽がなにかキエフの民族音楽に根差しているものであれば、、、と思うのですが、浅学にして見つからない。

このように考えていくと、何のためにキエフの大門を最後の曲にしたのか、なぞは深まります。

 

|

« 筑波大学付属高校、ここは評価できる! | トップページ | 桐山清澄九段 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 筑波大学付属高校、ここは評価できる! | トップページ | 桐山清澄九段 »