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大学における教員資格(教育者教員の提案)

実務家教員、研究者教員について述べてきました(コチラコチラ、参照)。現場の大学教員をしている身として、圧倒的に足りないのは「教育者教員」であると言えます。

もちろん、この「教育者教員」ということばは、市民権を得ていないとおもいます。無風凧の造語です。大学教員で、「教育を専門にする教員」を指しています。

学校教育法では、大街区は「高度な知識」を教授するために、「専門性の高い」人が教育することが求められています。建前としてこの考え方を否定するものではありませんし、理想的にはこうであってほしい。もっと言えば、無風凧はこのような教員から教えを受けてきた、という自負があります。

しかし。

いまの大学現場は、リメディアル教育なしでは成立しません。いわゆるFランクでなくても、高校の教育課程をきちんと修めてきている学生は少ない。文系の学生は、数学には触れずに大学に入ってきます。。。経済学部であっても。そのような学生に「専門的」な教育は土台無理な話で、まずは高校教育のやり直し、基礎科目の再履修が必要になります。さらに言えば、この「やり直し教育」を効率的に行われなければ、本来の大学教育は行えないレベルまできていると言っても過言ではありません。

簡単に言えば、、、大学がボーダーレス化するに従い、教育レベルが低くなりました。よって、高校教育のやる直しが必要になったわけです。

ここで。

高校の教員になるには、資格が必要です。教育学部に通って、卒業して、教員採用試験に受かる必要があります。つまり、彼らは、プロなわけです。ところが、大学教員は、そうではありません。大概の場合、論文の数で助手になり、教授のヒキで講師になる、という感じではないでしょうか。

教えることに関して、大学教員は決して「プロフェッショナル」ではないのです。ですから、リメディアル教育も予備校や高校の教育レベルに達しない。特に、「できの悪い学生」に対しての接し方がお粗末。まして、本来の目的である「専門教育」に至っては、、、もちろん、一部の「できる学生」はそれで良いでしょうけど、普通以下の学生にとっては、教え方が悪いがゆえに理解されない、という例が散見されるようにおもいます。

このように考えると、大学には「教えることを」を意識した課程が必要だし、それに特化した教員が必要、ということができます。このような脅威を「教育者教員」と無風凧は読んでいます。この教育者教員、いずれは、教育学部の一つの課程にしてほしいとすら思っています。

一般に、大学の教員は、「論文数」で評価されます。私立大学では、教育実績もカウントされることが多いようですが、それでも半分以下が多い。教育することにスペシャリティを持つ教員とその実績を評価する仕組みが、いまの大学には必要だと考えます。

え?無風凧はどうだって?

、、、

無風凧は、実務家教員であり研究者教員であり教育者教員である、というのをモットーにしています。今年は、研究部分が弱かったので、来年はまず、論文から攻めて以下ナックてはならない、と考えています。

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