平等は皆無と心得よ(ランキングインついて考える)
今日のYahooで、面白い記事を発見しました。
「早生まれの不利は大人まで続く」 (元記事は コチラ)
小学校1年生で考えれば、3月生まれと4月生まれは約一年違いますから、相当な差です。それが一生付きまとう、というのが上記記事の内容です。これは、無風凧の経験的にも、ある程度首肯できる内容です(とはいえ、4/1生まれの才女や3/29生まれの天才も知っているのですが)。
さて。この手の記事が出ると、「教育は平等でなくてはならない」というタイプの所謂「平等論者」が跋扈します。たしかに、年度の始まりが4月というのは、人間が勝手に決めたルールなのですから、改善の余地はあるでしょう。
では、その平等論者たちにお尋ねします。「平等」とは何を指しているのですか?
生まれた日から小学校に上がる日までの日数が一緒なら平等ですか?ということは、365日、入学式があり、入学者が同じ誕生日ならば平等だといいうなら、、、学校に通うまでの時間はどうですか?片道5分の人と1時間の人は不平等ですよね?全寮制にしたところで、階が違う、風呂に入る時間が違う、、、、色々なところに、不平等は存在します。恐らく、小学校は、家から近い人の方が成績が良かった、などという統計結果が出てくることでしょう。大食漢と小食の人に同じ量の食事を出して、平等でしょうか?満足度は?
更には。例えばアレルギーでエビを食べることができない人がいますが、給食でこの人にエビを出すことは平等ですか?それとも不平等ですか?
無風凧の主張は。
究極の平等は存在しません。社会のコンセンサスで、「どこまでを許容するか」を明示することです。そして、、、とても残念なことなのですが、生まれたときに受け入れざるを得ない「不平等」についてはあきらめるしかないと思うのです。そのコンセンサスをどうとっていくか、、、それが政治の仕事だと思っています。
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