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ポテトサラダは何故バズったか?

最近、「ポテトサラダ」がバズっています。子ずれの母親がお総菜のポテトサラダを買った際、見知らぬ方から「ポテトサラダくらい、自分で作れ」と言われたことが発端です。

ネット上では色々な意見が飛び交っていますが、皆様「自分の正義」を主張しています。もちろん、立場毎に言えば、どれも「間違い」はないでしょう。(他人を人格的に中傷する部分を除いて)。

では、なぜこのような論争が起きたのか。

これは、Community が欠如していること、だと考えています。Communityは、ラテン語の語源で言えば、「共に交換する」という意味。地域コミュニティと言うときには、「その場所に住んでいる」という意味以上に「交換する仲間」である。向こう三軒両隣、大家といえば親と一緒、、、など、日本には、共に交換する仲間がずっとたくさんいたのだと思います。

このCommunityは、意見も交換するのです。それがコミュニケーション。隣の人と、ポテトサラダの話をして意見を共有して、お向かいさんと共有して、、、生活圏ではお互いに事情もわかって、お互いが非難中傷することがなくなる。

今の社会は、一人一人の移動距離が増えました。Internetを使えば、違う国の人でも毎日のように「Communication」することができる。その分、近くの人、地域の人とのCommunicationがへり、意見の交換、相互の理解が少なくなっています。

このように考えると、ポテトサラダ事件は、Communityの希薄化が産んだ結果だと考えられるのです。

いささか飛躍がある理論ですが、ICT社会が導いた一つの結果だと言えます。

 

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