GW(我慢ウイーク)が終わり、緊急事態宣言解除に向けての話題が人口に膾炙しています。この2,3日は、特に頻繁のような気がします。
全部を見ているわけではないので(そもそもそんなことは不可能)、無風凧が見聞きした感じ、で恐縮ですが、「解除ネタ=自粛疲れ=気のゆるみ」とつながっているようで、皆様には「まだ終息していない」ということを強く意識してほしいと思いますし、まだまだ先が長いことを自覚して行動してほしいと思っています。
さて。
この「気のゆるみ」とは別に、確信犯的に「スーパースプレッダー」になる可能性のある行動をする方がいます。世の中の90%以上の人が「人との接触を避け」ている状態であるにも関わらず、例えば、パチンコに行くとか、旅行に行くとか。私権の範囲で行動制限はできない、というのは確かにその通りですが、常識からは大きく外れた人だ、とは言えるでしょう。
この「常識から大きく外れた人」というのは、ある一定の割合で存在します。というか、完全にゼロにすることは不可能。言い換えれば、どんな良い施策を立てても、それに従わない人がいます。
この「常識から大きく外れた人」の行動は、「千丈の堤も蟻の一穴から」でいう正に「蟻」の行動です。COVID-19に感染していることが分かっているにも関わらず、バスに乗って長距離移動する方が、その良い例だと思います。
実際にその感染者から感染してしまった場合、新たに感染した人は「交通事故」にあったものだと思って己の不幸を恨むしかありません。
つまり。
どんな優秀な施策を作っても、「人の行動原理を100%左右することはできない」ために、遂行できないことがあります。このように、「(民主主義化で許されている)考え方の違い」が蟻の一穴になるわけです。
もちろん、人はミスをする動物ですから、例えば陽性と陰性を間違えて伝えたために感染が広がる可能性はゼロではありません。これは、個人の「ケアレスミス」というナチュラルリスクに分類されます。100%、人が起こしますが、止めることは不可能です。しかし、ここで述べている「常識から大きく外れた人」の例は、「考え方の分布によるリスク」です。その人は「意図したとおり」に行動しているにも関わらず、その行動が社会的にはリスクになる、というものです。
これも、「人」の考え方の「統計的な範囲」を超えたものだいうことができるので、ナチュラルリスクの一つです。大勢の人があつまれば、必ずやこのような「常識を大きく外れた人」は存在ます。この人の存在で、せっかくの施策は水泡に帰することになります。この手の人の存在=ナチュラルリスクには、「罰則」による強制手段を取る、もしくは、フェイルセーフな施策を行う、しかありません。、、
そのような視点で見たときに、今の政府対応は、満足のいくものですか?無風凧には、とても満足はできません。
蟻の一穴を許さない、それ以上に、蟻が存在しても壊れない堤防(施策)、それが政府に求めらえるリーダーシップです。
最近のコメント