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集団パワハラ?

静岡の保育園メロディー。十八人もの保育士が一斉に退職願したことで、一気に全国区の記事になりました。退職の経緯については、無風凧よりも皆様の方が詳しいかもしれませんね。

今朝の報道で、元の運営者が謝罪する様子の映像が放送されていました。YouTubeにも、早速アップされています(こちら 参照)。

この映像を、まず音声を消して、キャプション(文字情報)も無視して見てみてください。無風凧には「男性と女性がいじめられている」映像との区別ができません。キャプションや音声で、「謝罪の風景なんだ」とわかりますが、そういう説明なしでは、いじめのシーンに見えます。

音声を聞くと。受け取り方によっては「パワハラではないか?」と思われる発言があります。、、、でも、コメンテーターを始めとして、それを指摘する声は聞こえない。

さて、ここからが今日の本論です。

善悪は、時代背景によって変わるもの、です。また、正義もしか理。その意味では、保育園の元経営者は悪で、その他大勢は「善」という構図が成り立っています。報道の通りだとすると、無風凧も「元経営者」の対応はずいぶんひどいな、と思いますが、同じ程度に、流れている映像は「イジメ風」にみえる。もし、この謝罪がもとで元経営者が適応障害になった場合、加害者は誰か、と考えると、「正義ってなに?」「集団パワハラは正義なの?」と頭の中がハテナマークでいっぱいになります。

無風凧が考えるに。

ハムラビ法典の昔から、「行き過ぎた正義」を諌めるために「法律(罰則)」があります。「目には目を」は、目を傷つけられた場合には、「その罰として目を差し出す」ことが原則で、それ以上は行わない。

そのように考えると、集団正義は「パワハラの源泉」「行き過ぎた罰則の温床」だ、と結論することができます。

元々の被害者の方のお気持ちも、わかります。無風凧もかつてパワハラの被害者でしたから。ですが、行き過ぎた正義は厳に慎まなくてはならない、と常に自制しています。

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