アダム=スミスの嘘つき!
市場均衡、市場原理という言葉、聴いたことがあるでしょう。もし、無いという方でも、「(神の)見えざる手」という言葉は聞いたことがあると思います。「見えざる手」は、経済学者アダム=スミスの有名な言葉です。
この言葉は、「需要と供給が均衡するように、価格が決定される」ことを意味しています。
簡単な例で言えば。
リンゴが1個あります。欲しい人が10人いれば、買いたい人の中で「最も高い価格で買ってくれる人」の価格に決定されるというものです。(実際は、複数のリンゴをもっとたくさんの人が欲しいと思いますし、お店の数や場所の依存性、リンゴの種類、、、など、変数が沢山あってこんなに単純では無いのですけど)。
この「見えざる手」を、労働市場に持って行って考えてみましょう。具体的には、(路線)バスの運転手不足。バスの運転手が足りないなら、「給料が上がって働きたい人が増える」のが「見えざる手」の効果です。でも、実際は、、、経営環境の悪化と労働環境の悪化が負のスパイラルを描いてしまい、
経営が悪化 → 給与が上がらない → 人が減る → 労働環境が悪化 → サービスの低下 → 経営が悪化
という感じになります。労働市場だけで言えば、「見えざる手」は動いていないことになります。
サービスの供養供給を考慮した上での「市場均衡」になっていないことが明白ですね。つまり、、、「アダム=スミスの嘘つき!」と叫びたくなります。
この「見えざる手」が有効に働かない理由を考え「利益の再分配をする」のが、経済学者の仕事と言って過言では無いのですが、、、有効な手段が見つかっていない、のが現状です。
例えば、各都道府県で決められている最低賃金。これなんては、「必要」のように思われていますが、経営悪化の一因です。売り上げがなくても給与を払い続けなくてはならないのですからね。加えて言えば、給与分配の方法も問題。民営バスの場合、社長の給与は下がらなくても運転手の給与は下がる。
前述の路線バスの話に特化すれば、完全に民営化してしまうか、全て国営にして運転手を国家公務員にして税金から給与を払うか、の二択が究極の選択。現実的には両方むりなんですけど。
おっと。筆が滑り始めたのでこの辺で止めるとして、今日の主張は「市場均衡なんてありえない」という主張でした。
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