サバイバル(台風一過で考えること)
台風一過。無風凧にとっては、台風自体の被害に加えて、翌日の交通機関の混雑の方が実害が大きかったように思います。あの炎天下、何時間も電車待ちで並んでいるのは、とても大変なことだったろう、とお見舞い申し上げます。
周りを見ていて、、、こういう表現が正しいかどうか分かりませんが、、、現代人はサバイバル能力が低くなっているのではないか、と警鐘を鳴らしたくなります。以下、思いつくままに、、、
月曜の朝。家の周りの道には、色々なものが散乱していました。屋根が剥がれた家の屋根板などは、個人の「防災対策」では、少し無理だったかもしれませんが、庭先にあったであろう置物やベランダに掛けてあったと思われるハンガー、ゴミ箱に、傘、自転車、、、など、「ちょっとした対策」で十分対応出来たと思われるものが沢山。前の日に、家の周りを見回して「固定していないものは家に入れておく」だけで、散乱物の半数以上が対応出来ていただろう、、、と思えるのです。無風凧が子供の頃、台風の前には庭にある木の固定や、雨戸の処理、雨戸のないガラス窓にはガムテープで補強、、、などというのは当たり前のことでした。この程度の「準備して」ないのは、自然災害ではなくて「人災」だと思うのです。
さらに。
千葉県など、停電が長引きました。熱射病の心配など、「停電での二次災害」が叫ばれていましたが。無風凧は思うのです。地震、台風などの自然災害の前では、人間は無力です。現に、ちょっと停電しただけで、この有り様です。であれば。我々は「文明が無い状態」で、いかに生きのびるかについて、もっと真剣に考えなくてはならないと思うのです。最たるものは、エアコンがなくても熱射病にならない工夫、でしょうか。行政の不備を言っても、熱射病で苦しむのは自分なのですから。そのような工夫もなく、災害対策の不備ばかりをあげつらう現在の風潮には辟易します。
結局。「便利に慣れる」と「不便だった頃の知恵を忘れる」。エアコン、電子マネー、インターネット、、、何もなくても、いかに身をまもるかのサバイバル能力が問われていくことになります。
さらにさらに。
電車の混雑が、、、と書き掛けましたが、これは長くなりそうなので、あらためて。
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