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”正しいこと”と”ルール”の狭間

一昨日のプロ野球からの一コマ。経緯は コチラ もご参照ください。

経緯:
1. 中日の大島が大飛球を打ち、本塁まで走った(あわやランニングホームラン)。

2. 審判の判定は、アウト。

3. 中日の監督は、即座にリクエスト(ビデオ判定)をした。

4. 審判団のビデオ判定の結果、アウトは覆らなかった。

5. その後、セリーグ統括に連絡するが、リクエストに対する意見書は提出できない、というルールであることを説明された。

まず、大切なこと。みなさまにもご賛同いただけると思いますが。

A. スポーツにはルールがあります。リクエストだったクレームだって、ルールに則って行う必要があります。

B。ただし、審判は、常に公平かつ正しい判断 をしている、ことが大前提です。

では、質問です。AとBは、どちらが優先されるべきでしょうか?言い換えれば、正しい判断をしていない、とおもわれている案件に対して、「ルールで判定が覆らない」ことは正しいでしょうか?

無風凧は、世の中で最も大切なことは、客観的事実だと思います。言い換えれば、「物理的にかつ論理的に正しいこと(矛盾しないこと)」。

上述の内容を再度検証してみましょう。

上述4において、「審判団」のビデオ判定において、原告である中日の与那嶺監督の指摘はあったのでしょうか? 否。審判団が自分たちで見ただけです。見落としがあっても何があっても、与那嶺さんとは「利益が反する」人だけで、決められたわけです。

そのうえで、上述5は、4に対する意見書も受け付けない。日本の裁判でも三審制というのにプロ野球は1審のみ。くわえると、裁判は少なくとも原告と被告は同じ証拠物件に対して、意見を戦わせる場があります、、、いかに、「正しいこと」がないがしろにされているかがわかるでしょう。

無風凧は、思います。「物理的に正しいこと」を尊重しないような輩は、万死に値するのではないか、と。そして、それを守るためにルールは存在するのであって、決して、「物理的に正しいこと」を蔑にするためにルールがあるのではない、ということを。

蛇足: YOutubeを見ると、スポーツの誤審は、山ほどあります。Youtubeにあるということは、何らかの「第三者的な判断が可能である=物理的に正しいことが決定できる」わけです。それにしたがった判断がなされていないことに、憤りすら感じます。

 

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