三十絃箏の話(好きな音楽2019年5月)
みなさん、箏の絃の数が何本かご存知ですか?
一般的な箏は13本です。ですから、箏のことを十三絃、とよぶこともあります。
ただ、、、13本以外の絃の数の箏も存在します。よくつかわれるのは、十七絃、二十五絃、三十絃でしょうか。二十弦、二十一絃、二十二絃も時々見かけますし、歴史上は三十二絃、八十絃という楽器も存在します。
十三絃以外の箏は、だれが考案したか、がはっきりしています。「お箏」と聞くと随分古い楽器のように思いますが、十三絃以外は20世紀以降の楽器です。
十七絃箏は、1921年に宮城道雄が考案。チェロの音域を担うために作られました、、、その後、何度か改良をして現在の形に落ち着いています。
二十五絃箏は、野坂恵子さんが1991年に開発したもの。まだ30年未満の楽器ですが、ずいぶん広まっているな、と思います。ちなみに、20~22絃箏も、野坂さんの考案です。二十絃から、一本づつ増やしていって、二十五絃にたどり着いたのが歴史です。
八十絃も1929年に宮城道雄が考案しましたが、、、あまり完成度が上がらなかったようで、結局一面作られただけで、第二次世界大戦で焼失。今は、複製品(レプリカ)を宮城道雄記念館で見学することができます。
歴史の陰に隠れた箏としては、複大十七絃箏。一般的な十七箏がチェロの音域を担当するのに対し、複大十七絃は、コントラバスの音域。衛藤公雄氏が考案して、作成。録音も残っていますが、現物は修理に出した際に所在が分からなくなったとのことです。
さて、今日の本題の三十絃箏。
一般的には1955年に宮下秀冽氏によって考案された、となっています(こちら など参照)。二十五絃が20絃からの発展であるように、30絃と32絃はほぼ同じ楽器といえるのではないでしょうか。その32絃のは、、、
1952年に公開された「長崎の歌は忘れじ」のなかで、用いられています。京マチコさんが、映画の中で演奏しています。映画の音源は、衛藤公雄氏が十三絃で演奏しているようですが、少なくとも衛藤公雄氏が三十二絃箏を使っていたことは、事実のようです。(詳細は、こちら 参照。写真も、薫公会ブログからの転用)。衛藤氏の秘書だった方のお話では、衛藤公雄氏は三十二絃を考案され、戦後、進駐軍でのジャズで三十二絃箏を演奏していたそうです、、、
三十絃が、宮下秀冽氏、宮下伸氏によって改良がなされたことと、完成させたこと、そしてなにより、演奏で広めていった功績は揺らぐものではありませんが、歴史的な意味で「最初」は衛藤氏ではないかと思っています。Webページを通じて、宮下伸氏に問い合わせをしていますが、まだご回答をいただいていません、、、そろそろご返事いただけると嬉しいのですけどね。
付記: 京マチコさんは、つい先日の5月12日に他界されました。京マチコさんのご冥福をお祈りしています。合掌。
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