社会構造のねじれをランキング視点で考える
「年上の部下を持ったときに困った記憶ありませんか?」
管理職になって、初めて部下を持つ。最初は年下の何人かだけを部下にしていますが、ある時、自分の親に近い年齢の方を部下にする。。。そんなときに、どのように接していけば良いか、悩んだことのある方は多いのではないかと思います。
これは、乳幼児の頃から大学卒業するくらいまでは、ほとんどの人生経験において「年功序列」で過ごしていた人にとって、優先順位に変化が生じたことによる戸惑いと言えます。一般的な社会生活では、「目上の者を大切にする」ことは大切なことですし、体育会系の人は特に「先輩」の存在が絶対だったりしますから。
言い換えれば、対人関係における「社会生活におけるランキング」と「会社生活におけるランキング」の間に「ねじれ」が生じることに、違和感をおぼえ、困惑するのが「初めて年上の部下を持った時」です。
バブル期までの日本では「会社生活におけるランキング」はほとんど「年功序列」だったので、ねじれは存在していませんでした。
さて、ここからが今日の本題。
先日、とある新聞記者のかたと話をしていた時の話。
「デスク(上司)は大した記事も書いたこともない若造なのに、デカい顔をして、給料も俺より良い」
これも一つの「ねじれ」です。日本人は殆どの場合、「努力」=「成果」=「報われる(評価される)」の等式が暗黙の了解です。上記の記者は、上司よりも自分の方が努力しているし成果も出しているのに給料が低い、という「ねじれ」を指摘しているのです。少し見方を変えれば、「良い記事を書く」軸でランキング上位を目指していた記者たちに、ある日突然「マネジメント力」という評価軸で評価されることになり、l「良い記事を書く」軸と「マネジメント力」軸にねじれが生じています。
現代教育においても、入試制度においても、、、、努力の方向とそれを評価する評価軸が異なることは無いのですが、社会に出た瞬間に「これまでとは全く異なる価値観」=「マネジメント力という新しいランキング軸」で評価される、、、このねじれが、上記新聞記者を始めとする不満の根源です。
最近の大企業にある「役職定年制度」などというのも、この「ねじれ」を更に複雑化しているものです。そして、、、不満分子が増えていく。
このねじれ、改善した方がよいのか、このままが良いのか、はまた改めて。
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