d3977 正しいことと多数決のハザマ
一昨日の話(コチラ 参照)の続きをしましょう。
昨日は、「正しいこと」をどのように選択するか、という意味での多数決の問題点を指摘すると共に、マスゴミやネット社会の在り方に問題提起をしました(したつもり)。
先日。ふとしたことで、相棒6「琥珀色の思い出」の再放送を見ました。
このエピソード。正しいのははどちらでしょう?(端折ってますので、是非エピソードを見ることをお勧めします。)
1. お客様の思い出のAというスコッチを出す。
2. Aと同額でより「美味しい」と世の中で言われているBというスコッチを出す。
当事者にとっては、1.しかし、世論的に、もしくは権威と呼ばれる人にとっては、2が正しいことになるでしょう。では、お金を出すお客様にとって、より満足度が高いのは? Aが正解ということになるでしょう、、、けど。これも、1%くらいの方は、2という方もいるかもしれませんね。
世論、、、ネットやマスゴミより、「より正しい」ことが存在することの証左です。
次の例。
甲さんが乙さんに約束(契約)したこと。公序良俗にも法律にも反していない約束は、周りの誰が何を言っても、誰が何といっても守ることが「正しい」と思うのです。約束したことに、周りの多数が何か言って、甲さんが約束を反故にするのは、、、やはり、正しくないと思うのです。つまり、約束した当事者同士と、それとは直接関係の無い人の「一票」には違いがある、というよりは、周りの人には一票の権利すらないと思うのです。
例えば。親が16歳の子供に、次の大会で優勝したら海外旅行にひとりで行ってよい、と約束をしたとします。
でも。親戚一同、「まだ早すぎる」「心配だ」「親もついていくべきだ」、、、と言って、結局子供との約束を果たさない。この親を、あなたはどう思いますか?
民主主義であることと多数決は近い概念ではあると思います。しかし、まずは「約束を守る」が、より上位の概念として必要だと言えます。
# 注: 公序良俗や法律に反しているか否かを「分ける」方法が少し曖昧です。結果、何処まで行ってもこの「分ける」の問題に帰着して、理論化出来ないものも理論化を目指さなくてはならない(コチラ 参照)、に繋がっていくのです。
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