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d3971 努力する だけでは、、、、

契約書を読んでいて、こんな文言を見ることがあります。

甲は、〇〇〇〇を実現する為に、努力します。

これを読んだ瞬間に、「ああ、この契約書は、レベルが低いなあ、、、」と思います。

努力をするのは当たり前。上手くいかなかったときに「どういう対応でお互いがなっとくするか」を記述するのが契約書だと思っているからです。

勿論、努力することを否定するものではないのですけどね。

そんなことを思っていると、先日の「理論化出来ないものも理論化しなくてはならない(コチラ 参照)」を思い出しました。理論化には、まず状態や物、、、、を定義できなくてはなりません。努力する、を定義するとどうなるでしょう? 頑張る、と言い換えてもよいですが、それは人に寄っても、場合によっても違います。

勉強頑張ります 、、、 子供がお小遣い貰う為の常とう句ですが、テストで80点取ります。でなければ、「努力を測定(measure)」することができません。Measure出来なければ、「さらなる頑張り」は、定義できません。その上で、

「80点取れなければ、一週間オヤツはいりません」

ここまであって、初めて契約です。子供の「本気」も伝わってきます。

つまり。努力します、だけでは契約書としては不備がある、と言っても過言ではない。そうです。違約した場合の条項。日本の契約書は、違約条項がないものが多い。そして、、、契約でもめる場合のほとんどは、違約条項の解釈問題です。

甲は乙に対して○○を実現します。○○が出来ないときは、違約として、甲は乙に違約として××をします。

ここまで書いて、初めて契約書だと思うのです。これを

甲は乙に対して○○が実現できるように努力します。

だけだったら、何のための契約書なんでしょう?

世の中には、このような不出来な契約書が横行しています。是正していかなければ、グロ-バル化の波の中、日本は契約後進国になってしまいます。

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