d3957 理論化できないことも理論化を目指さなくてはならな7
記号学者ウンベルト・エーコは、「理論化できないことは物語らなければならない」と主張しています。無風凧は、この意味について、先日軽く触れたのですが(コチラ 参照)、その後、頭から離れない。
そして、、、結果として、エーコの主張する「物語る」は、「理論化」を意味しているのではないか、ということに行きあたりました。
物語る=状況や感情などを伝えるために、言語という記号を用いる行為。
AさんとBさんが、そのシニフィエを「完全に同一」に理解する為には、勿論のことですが、同一であることの「決定」が必要です。Aさんの理解を R(A)、Bさんの理解をR(B)と書いたとして、
R(A)=R(B)
という等式が、「客観的に」証明される必要があります。
厳密に厳密に。そしてさらに厳密に等式を証明しようとすれば、、、そう。等式で表されること自体、「理論化」が前提であることに気が付きます。理論化出来ない部分を理論化する努力の過程が「物語る」という行為なのであって、決して理論化をあきらめるという意味ではない。
たったこんな簡単なことに気が付くのに、10日以上もかかりました、、、(;。;)
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