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d3942 忙中閑あり (付: 曖昧さを無くす)

20190206 パンダさん:
今日は何しようかなあ、、、、

写真出典 Photo by (c)Tomo.Yun
このパンダさんの写真を見ると、、、とってもゆったりした気持ちになるのですが、実際は業務が山積していて、二進も三進もいかない感じです。

さて。無風凧のブログを読んでいる方には、無風凧が何度も

「判かる」=「分ける」

と書いていることはご存知かと思います。「分けることができる」事は、即ち「違い」が理解できていることになります。だから、分けることが「判る=理解する」ことの第一歩です。

もし、、、だれかと話をしていて、「意見が合わないな」と思ったら、「相手が何を考えているのだろう?」と相手の気持ちになって考えるのと同時に、「分ける場所が違う」のではないかと考えて、「分ける=理解」を一致させることが重要です。

ところが。

良くあることなのですが、「アウフヘーベン(止揚)」という言葉をいい加減に使うと、判別を曖昧にして、「合意した」と思う混むことがあります。これは、、、いずれどこかで「合意」出来ればよいのですが、無風凧の経験では、いずれどこかで「破綻」します。

更に言えば、記号学者のウンベルト・エーコの「理論化できないことは物語らなければならない」におけるは、「理論化」と「物語」は、定量化できるものは定量化し、定量化出来ないものは、なんらかの形で客観的な定量性合意しる必要がある、と言っていることに比定できます。

この文脈で。「曖昧さを無くす」ことは、その場では感情にしこりが残るかもしれませんが、長い目で見たときに一番「お互いが合意する」期間が長くなる、唯一の方法だと考えています。増して、「より曖昧にする」ことは、ご法度です。

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