d3841 「聖人君子」を考える
聖人君子、という言葉があります。立派な人徳やすぐれた知識・教養を身につけた理想的な人物、ですね。
この言葉でいう、立派や人徳、理想的、、、などという言葉は、時代や国によって変わるものかもしれません。とはいえ、「変わらない理想像=聖人君子」というものがある、と私たちは思っています。
徳の高い宗教家、いわゆる僧侶や神父などは、聖人君子と思われているのではないでしょうか。同様に、学校の先生、警察官、議員さんなども、「聖人君子」であることを求められている職業でしょうね。
でも、ここで考えてみてください。どんな「聖人君子」であっても、人である以上、本能は同じです。精神力や修行によって、そして職業倫理にで律したと言っても、お腹がもすけば眠くもなります。
このように考えれば、例えばローマ教会の性暴力事件(コチラ など参照)も、「普通の人が起こすのと同じ確率で起きる」ことを前提に私達は「社会生活を営む」必要があります。
教員の暴力問題、警察官のストーカー、議員の不倫、、、最近の報道だけでも枚挙にいとまがありませんが、彼等彼女等も人間。ほかの人と同じ確率で不祥事を起こして当然と言えます。
聖人君子たることを目標にすることを否定するものではありません。忘れてはならないのは、私たちは、聖人君子を特別視することなく、「人」として接していかなくてはならないと思っています。
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