[3748日目] 司法の二枚舌・・・法の正義とは何か?
電通の違法残業事件(高橋まつりさん過労自殺事件)において、直属の元上司が不起訴になりました(コチラ 参照)。検察審査会の回答ですから、今後、元上司が起訴される可能性は、限りなく0になりました。
この事件において。検察審査会の決定は、簡単に言えば「企業風土が自殺に追い込んだ」という判断です。自然人の仕業ではなく、「法人」が殺人を犯した。
では、翻って、適当な例ではないとはしりつつ、いくつか例で考えてみましょう。オウム事件の場合、洗脳された犯人は、洗脳から解かれた後に死刑になりました(一応、共同正犯のという形にはなっています)。暴力団の暴力事件。大概は「鉄砲玉」が罪をかぶります。同様に、企業や官庁の汚職事件の場合、トカゲのしっぽ切が行われたり、パワハラでやむを得ず実行犯になっていたり、、、これらは全て、「犯罪は最終的には自然人が行ったもの」という考え方の上で、実行犯が最も重い罪に問われています。
高橋まつりさんの上司の場合、
長時間労働が横行する社内で個人ができる対策は限定的
元上司のみを罰するのは不公平
法人としての電通が有罪判決を受けた
という理由で、不起訴になりました。読めば小学生でもわかるように、「罪を犯す人」が法人であるか自然人であるか、二枚舌をつかっていることになります。
法の正義、、、勿論、裁判官にしろ検察官にしろ、自分の良心に従って法の判断を下すという大原則はあるというものの、あまりにあからさまな二枚舌に、「何か裏がある」と思ったのは、無風凧だけではないと思います。。。。
法の上の平等は、法律自体も平等でなければならない。そのように無風凧は主張します。
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