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[3742日目] 科学者の基本

「科学論文にご用心、大半は誤り」

こんな刺激的なリードの記事がありました(コチラ 参照)。記事の中に「再現研究で同じ結果はまれ」とまで書かれています。STAP細胞事件を彷彿させますが、何とも嘆かわしいばかりです。

 

実験系の論文の内容は、誰が実験しても再現されることが大前提です。実験の再現性は、理科系の学生の基本中の基本です。社会科学と自然科学の最も大きな違いは、再現実験ができるかできないか、でると言っても過言ではありません。

 

にもかかわらず、、、再現実験が出来ない、、、、ありえない事です。理科系の研究者として、風上にも置けない、ということになります。

 

論文には、査読、というプロセスがあります。本来は実験が再現されることは、査読者にも責任があるでしょう。実際は、ほとんどの論文の査読者は、再現実験をすることはありません。現実的には出来ないものもあります(予算は規模などによる)。しかし、査読者を通すことで、「再現実験代り」とみなしています。有名な論文誌では、高名な査読者が複数いてその分「再現可能性が上がる」と考えられています、、、が、この「査読」自体もレベルが下がっていっているのでしょう(補足参照)。

 

このような背景には、以下が考えられます。

 

    1. 論文の数が増えすぎている

 

    1. 論文の専門性が深くなりすぎていて、同一の専門内容を持っていない人が査読せざるを得ないことがある。

 

    1. レフェリーは「疑わしきは罰せず」で論文を通してしまう(ある種の忖度、もしくは自分が投稿者になった場合のバーゲニング)。

 

    1. 「明らかなウソ」でなければ、排除しない風潮。

 

  1. 「論文誌」自身が既に商業的な弱者になっている(売れる論文誌になるために、センセーショナルな論文を載せる傾向がある)、、、、などなど。

 

 

 

科学者になるのは、大学の卒業証書は不要です。基本に「真実を求める心とスキル」があれば十分。その基本としての、「再現性」(他に客観性、定量性などもありますが)を今一度、総ての科学者が肝に銘じなければなりません。

 

補足:
蛇足ですが、無風凧が「識者」と呼ばれる方を信じていないのは、ここが原因です。事実であるかないかの判断を、名前で押し切る、というのは、論文不正の温床と考えられます。

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