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経済基礎論について考える

経済古典は役に立つ(竹中平蔵、光文社新書)」を、BookOffで購入して、電車の中で読みました。暇つぶしのつもりだったのですが、意外に気に入ってしまいました。。。というか。竹中先生、さすがです、と言いたい。

無風凧が、この本で一番「目が覚めた」ところは、この本の元になったのが「問題解決のための経済古典」という5回の講義をまとめたものだという事。今の経済・財政問題を古典経済の立場で考えてみよう、、、という講義だったと思うのですが、この本の主張は「問題が先にあり、それを何とか解決するために色々な理論(経済古典理論)が構築され、経済思想に昇華したいった」ということでしょう。

少し判り易く書くと、「時代によって課題は異なり、環境も異なるから、古典は参考にしかならない(参考にはなる)」と主張しています。

さらに言えば、「経済学には絶対はない」と言っています。例えば、共産主義国家と資本主義国家では、そもそもの理論の土台が異なるし、目的も違うから、同じ施策も同じ結果をもたらさない、ということです。

財政学者としての竹中さんの主張として、非常に全うであると思うと同時に、結局、「どんな政策も確としたことは言えないのだ」ということを正当化しているように、感じます。

ここで、無風凧は考えます。「では、経済学の基礎とは何だろう?」と。というのは、無風凧は自然科学と社会科学のアナロジーで考えてみているからです。例えば。物理の場合、古典力学で、ニュートンの方程式は絶対の基礎です。万有引力の法則も、近似の範囲ではありますが、適用範囲を間違えなければ自然科学全般に適用できます。このような意味での「経済学の基礎」って、どんなものなのでしょう?これを考えることは、社会科学と自然科学の境界の問題をかんがえることかもしれません。

この問題も、少しゆっくり考えてみたいと思います。無風凧の考えなくてはならないテーマがまた一つ増えました。

# 無風凧は昔から「経済思想・経済政策と呪術は、色々な点で似ている」と思っています。

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