驚くに値しない、、、
財務省近畿財務局による決裁文書書き換え事件。すでに、「事件」と呼んでよいのではないかと思います。
安倍首相をはじめとして、「有ってはならない」「行政の根幹を揺るがす、、、」。。。と口々に言ってます。しかし、国民の皆さんは、「驚いて」いますか?
大変申し訳ないけど、無風凧は全然驚いていません。やっと事実が一つ出てきたか、、、というだけの話です。モリカケ問題は言う意に及ばず、すべての「政治的文書」に、100% の信ぴょう性は無いと思っています。国民としては、少しシニカルにすぎますかね。
隠ぺい体質、と一言で括ってしまうとミスリードしてしまうかもしれませんが、「言行一致」を旨として、一致しない場合は、何らかの*修正*をして矛盾を無くす、というのは、意外と無意識に行っている場合があります。また、事後に「あれ、これ、間違っている」と思って親切心で修正する場合も考えると、「書き換え」は意外と日常茶飯事です(公文書の場合は、これも犯罪です)。
つまり、書き換えは、政治・行政の世界においては「常態化」していると無風凧は思っています。
それよりも驚いくべきは。マスゴミ報道によると「決裁文書に政治家の名前が記載されるこことは稀」「関与があっても普通は書かないのが慣例」「後後に見たときに疑義が起こること書かない」という元財務官僚の発言があったととか。これの方が遥かに罪は重い。
5W1Hというか6W2Hをすべて把握して文書に残してこそ、決裁文書、です。それなしに進めたら、何のための決裁文書でしょう?
一例をあげると。
阿倍首相が「私がOKというから決裁通してください」と言った案件があったとします。これは行政の長がOKと言っているのですから、官僚制度の中では、「決裁OK」ということです。途中の中間管理職は「NGを出す」ことは、通例では考えられません。しかし、この決裁文書に「阿倍首相の名前が一言もない」ということであれば、結果として、中間管理職が「職掌の範囲で自らの権限に基づいて決裁した」という記録になります。。。これって、事実を伝えていない。
この事実を伝えていない「決裁文書・議事録の残した方」が、霞が関では一般的であるというのですから、驚かずにいられましょうか。
これらを統合して考えると、、、結局、「人的ネットワークの弊害」以外の何物でもありません。おっと、この人的ネットワークの弊害については、まだ詳細を書いていませんでしたね。おいおい書いていきますが、忖度やパワハラ、レスリングの伊調問題など、総ての「不正」と思わら得るもののも根本原因は、「人的ネットワーク」につきます。それはいずれまた。
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