自己言及
昨日は12月8日。シベリウスの生まれた日。毎年、Andante Festivoを聴く日です。(コチラ など参照)。つい先ほど、書斎でゆっくり聴いていました(つまり、「昨日」というよりは「今日」という感じではあるのですけどね)。
そして、、、12月8日は、社会学者N.ルーマンの生まれた日でもあります。なので、昨日は一日、ルーマンに関する論述を読んでいました。というのも、ルーマンのいう「オートポイエーシス」を、きちんと理解する必要があるのと感じていたので(コチラ 参照)。
「システム論」として考える場合、対象が社会学てきなものであろうと、生物学的なものであろうと、「システム」というパラダイムで考えることができます。なので、ルーマンが「自身の主張する自己言及性」をオートポイエーシスと読んでいる場合、無風凧が今まで理解している(=河本さんのオートポイエーシスに近い)と同一(若しくは非常に近い)自己生産システムを指しているのだと思っていたのですが、どうも、何かが違う。何か違うどころか、全然違うかもしれない。
非常に悔しいのですが、違いを明確に指摘することが出来ない、、、無風凧、頭悪い。
先回(前述と同じ、コチラ 参照)でいう「会議(というシステム)は会議(というシステム)を生む」は、Autopoiesysで良いと思います。しかし、無風凧が理解する範囲ではルーマンは、「コミュニケーション(という構成素)がコミュニケーション(という構成素)を生む」と書いているように思います。、、、あれ、構成素とシステム要素って、同じで良いんだっけ?もっと言えば、会議が会議を生む場合は、自己言及(再起的)であるけど、コミュニケーションの場合は、「集合として」のコミュニケーションには戻ってくるかもしれないけど、「自己」を言及してはいない、、、
まだ、この程度の理解しかできてないので、もっと頑張って勉強します。
取ってつけた様ではありますが、AndanteFestivoを聴くことは、無風凧にとって「自己言及」な営みであります。昨日12月8日は「自己」を振り返る良い一日になりました。
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