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事実の確認の責任

日馬富士の暴力問題が、随分報道されています。腕力による暴力は、勿論非難されて当然だとか考えますが、併せて、言論による暴力も、許されざる行為だと考えます。

言葉による暴力。それは、ここでは「事実でないことをあたかも事実のように報道し、その上、その誤認した内容に対して、訂正しない」ことを、指しています。

マスゴミは、誤報をした場合でも、次に報道する内容を常に「新事実」と称することにより、誤報に対して責任を口にすることはありません。これは 、 一度逮捕されれば真実とは関係なく一生言われ続ける「痴漢冤罪」と同じで、報道されてしまてば、それが真実として噂になり、合意形成が成されます。しかも、昨今のインターネットでは、古い記事が何時までも残っていきますから、「訂正されていない報道=誤報」が、何時までも一人歩き擦ることになります。これを、暴力と言わずに何と言えば良いのでしょうか?

マスゴミも報道機関ならば、事実を報道することは当然として(単に視聴率のための報道から脱却)、その報道内容に責任を取ること、そして、万一にも事実誤認を報道した場合には、訂正するとともに、名誉回復の為の手段(もしくは補償)をして欲しいと、主張します。

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