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2017年11月

バッハのシャコンヌ(好きな音楽2017年11月)

先日。高校来の友人との会話の中で、バッハのシャコンヌ、正確には、「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ2番 BWV1004 第5楽章」の話で盛り上がりました。今回は、その時の会話を元に、幾つか書いてみたいと思います。

バッハのシャコンヌ、勿論無風凧も大好きな曲の一つです。愛聴盤は、、、F.サイが演奏したブゾーニ編曲版のピアノ演奏。そう、ヴァイオリンの曲なのに、ピアノ編曲版がすき、です。このシャコンヌ。編曲が非常に多い。Wikiで調べて、Youtubeで探して、、、で主なもので、下記。

  • バッハの原曲
  • ブラームス編曲のピアノ左手版
  • ブゾーニ編曲のピアノ版
  • ストコフスキー編曲のオケ版
  • 斉藤秀雄編曲のオケ版
  • 伊東康英編曲の吹奏楽版、、、などなど。

すべて、Youtubeで聴くことができるので、ご興味のある方は聴いてみてください。

無風凧は、、、バッハの原曲は、やはり「パルティータ5曲の中の5番目」というポジションがあってのシャコンヌです。聴けば聴くほど、「パルティータ 全曲を忘れて五楽章のシャコンヌだけでは楽曲として不成立」と考えます。さらに言えば、ヴァイオリニストに、シャコンヌだけを取り出しうて弾いてほしくないな、と思うのです。ヴァイオリニストの水島愛子さんも、「シャコンヌはパルティータの中の五曲目なの」とおっしゃっていたことを付記したいと思います。

その点、他の編曲物は、いずれも「シャコンヌだけ」で閉じた一つの楽曲として成立している。だから、シャコンヌだけを聴いても、一つの作品として落ち着いて聞くことが出来る。

友人との会話の中では、「ヴァイオリンソロの場合に比べて、編曲物は和音が厚くなっているから」という指摘があったのですが、さすがの視点と感服。編曲物は白黒写真の組み写真の一枚だけを、カラー写真で撮りなおした作品、というのは判りやすい説明のように思います。加えて言うなら、Tuttiの音が大きすぎるというか、明るすぎる、というか、、、これは指揮者もしくは楽団の特徴なのかもしれませんけどね。

最後に、Youtubeのストコフスキ版(コチラ 参照)からの引用でしめます。言いえて妙、です。昭和10年当時、この録音が発売されたころの書評だそうです。

「このシャコンヌは少しの無理もない、而も非常に豊麗な描き方をされてゐるので、バッハの原曲を傷つけたといふ感じは少しもない。これは決して誇張でも何でもないのである。通俗味も無く面白いとも言へぬこの曲をこれだけに聞かせるのは、全く非常な手腕と言はねばなるまい。要するにストコフスキーは楽器を駆使する魔術を心得てゐるのである。」(山野幸彦、「レコード音楽」昭和10年3月号73頁)

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Local-Global(ロカバル)な問題

「京大の立て看板、景観条例違反指導で学生ら困惑」 (出典は ハフィントンポスト)。

京都大学に限らず、早稲田大f学や法政大学などでも、立て看板はあります(もしかしたら「ありました」かも?) 学生の活動の一端として、そして学生文化の一端として、是非残してほしいとも思いますが、ですが、地方の「環境保全」も大切なこと。近隣住民にしてみれば、死活問題かもしれませんし、京都市としては海外観光客誘致の「課題」になっているのかもしれませんから、うかつな発言は出来ません。

この問題、、、LocalーGlobal(ロカバル)な問題、と無風凧は名付けたいと思います。本来、該当地域だけで解決すべきLocalな課題であるにもかかわらず、ネットやマスゴミの報道/Propagationによって、日本中の人が関心をもつGlobalな問題になってしまいます。京大立て看板の例では、20年前なら無風凧は知ることもなかったでしょうけど、Netのお蔭で無風凧も関心をもちましたし、意見を求められれば、「立て看板を残してほしい」となるでしょうからね。

この現象。普遍的には、範囲が広がれば広がるほど、「普遍性のある意見」が主流になります。言い換えれば、「伝統は守るべき」とか「環境は守るべき」という普遍性のある意見がGlobal視点での意見として集約されます。Globalな意見、と言えば聞こえは良いですが、「部外者の意見」となることも多いし、実際、京大立て看板の例で、無風凧は「部外者」だと認識しています。

インターネットの普及により、ローカルな話題がグローバルになることは簡単です。Youtubeで公開し、インフルエンサーが一人付けば、あっという間にグローバルになります。そして、、、部外者が喧々諤々言い始める。結果として、「ローカルとしては望まれていない解決策」に陥ることや、担当者がいわれもない「中傷」を受けることになります。

ネットの世界での「忘れられる権利」という議論がありますが、ロカバルな問題は「部外者からは静観される権利があると思いますし、そういうルール作りがそろそろ必要かな、と思っています。

注: ロカバルは、Local-Global を短縮した、無風凧の造語です。Glocalの逆の意味ですね。

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残り一か月?(付: 相撲協会で考える改革の仕方)

20171128 ひよこさん:
今年はもう一か月しかないの?酉年だからブイブイ言おうと思って出てきたのに、、、遅かったみたい

By 写真出典 GATAGフリー画像・写真素材集2.0 撮影sheilapic76様

はやいもので、酉年も残り1か月となりました。まだやり残しが一杯あるのに、、、無風凧、ちょっと焦っています。

さて。嫌でも目に入る相撲協会の問題。組織論的に面白いものを発見しました。

前提は、「暴力事件を解決するために、貴乃花親方は組織内(相撲協会)の聴き取りには応じていない」「貴乃花親方は、組織の抜本的改革と目指している」です。それ以外の昨今の相撲協会騒動に関しては、ご自身でフォローしてください。以下、相撲協会は事例として扱うだけで、主張には知らなくても影響ないです。一般的な組織に読み替えてください(注)。

貴ノ岩関への聞き取り調査を拒んでいる貴乃花親方に対しては、「親方の姿勢は納得できず、不可解。理事という立場であって、協会全体が進めることについて、ぶち壊すような動きをしているのではないか」などの意見が出たという。(引用もとは コチラ

上記は、横綱審議委員会の北村委員長の言葉です。この言葉を見て、「組織は硬直化していて、貴乃花親方が、組織内の聴き取りに応じないことに理解できる」と考えます。

というのは、

「協会全体が進めること」に対して「異がある」から聴き取りに応じていない。

このことに対して、横綱審議委員会ですら理解が出来ていません。横審は、相撲協会が指定する諮問委員会です。第三者的に意見することが求められています。もし、第三者的に発言するなら、

「問題解決のためのテーブルについてほしい。テーブルには司直やその他貴乃花親方の希望参加者を含め、Closeにはしない」

となるべき所ではないでしょうか?あくまで現行の相撲協会内の議論にしようとする時点で、横審が第三者的な立場ではない事が判り、ひいては、協会の考え方を是としていることが判ります。それに異を唱える(相撲協会改革を謳う)貴乃花親方の今回の方法(聴き取りに応じず、警察にまかせている)に理解が出来ます(注2)。

組織は、自己組織化し、自己正当化します。ですから、構造化されてしまった組織の改革、は、外部の力を用いなくては無しえないことです。その為に外部の力である警察を用いる、という手法は理に適っている。貴乃花親方はその点を理解して、今回「司直の手にゆだねる」という戦略をとっているのでしょう。

さて。無風凧もかつて。

ある組織の内部不正&パワハラを正そうとしたことがあります。ISO的にいえば真っ黒な組織でしたが、組織内では正当化されている、という事象が多々ありました。内部の活動では無理で、外部の力を借りようとして、、、しかし、その結果、組織から排除される、という事態で収束しました。この場合は、組織に対して無風凧個人が小さすぎたために、不発に終わった、と自己分析しています(注3)。

貴乃花親方の手段は正しいと思います。最後、「勝つか負けるか」という意味でいえば、ここまで国民的な問題にすることが出来た時点で、上述の無風凧の事例とはことなっています。無言ではある貴乃花親方の「発言力=世論の巻き込み力」が勝れば、改革は行われるでしょうし、そうでなければ、、、組織から排除されるでしょうね。

注: 報道内容の「裏」が取れていませんので、事例としては齟齬が生じる場合がありますが、あくまで上述の「前提」の上での一般論であることに、注意してください。

注2: 傷害事件だから、あくまで司直の手に、という手段も正しい。傷害事件に、当該関係者以外が関与することは、警察以外にはありえませんから。

注3: 似たようなことは、日産や神鋼の不正事件などでもあったでしょうし、もしかしたら不正を是正・告発しようとして左遷されたり、解雇された方もいたのではないか、と思っています。

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論理トレーニング(野矢茂樹著)

ちょっと体調がすぐれなかったので、昨日は一日、自宅で療養&読書。ブックオフで買った「論理トレーニング(野矢茂樹著、産業図書、初版)」を眺めました。

所謂論理学の教科書とは違った構成で書かれているので、新鮮な気持ちで読むことが出来たと同時に、パズル(例題)が多くて、とても楽しく読むことが出来ました。

論理学と言えば、まず真理値表、というイメージがありますが、この教科書は「接続詞」すなわち「日常の国語の問題」からスタートしているので、親近感がありますし、判りやすい。

しかし反面、言葉(自然言語)の持つ曖昧さゆえに、パズルの「別解」が頭をよぎり悩むことも有り、そういう意味では「少しレベルが高い鴨」と思う場面も。

いずれにしても、「判りやすい文章を書く」為の基礎的な素養として、最適な一冊であることだけは間違いなさそう。大学一年の最初に、、まず読んでほしい本です。

#  この本、例えば「コチラ 」で一端を垣間見ることが出来ます。

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「間違った釈放」に考える、、、100%を実現できるのか?

東京地検は、交流しておくべき容疑者を誤って釈放すると言うミスを犯しました(こちら参照)。

この記事によると「単純なミスだった」ように読めますし、その上、 「関係者の処分」「指導を徹底し、再発防止をする」とのことです。

不祥事や事故が起きるたびに、上記のような処分や対抗策が報じられますが、それがどのような方策であるのか、もしくは、どのような効果があったのか報告される事はありません。少なくとも、「口頭による指導、注意」は、それだけでは「何も対策していない」こととほとんど同じだと、無風凧は考えますし、ISO27001のインシデント対応でも、対策として充分とは認められません。

それに、東京地検次席検事の話は、「手順は正しく、運用(すなわち担当者)のミスが原因である」と読めます。

しかし、人の行うことに100%はあり得ません。つまり、「ミスがあることが前提」「人はミスをするものという理解」の上で手順が設計され、フェイルセーフなシステムになっている必要があると無風凧は考えます。

このように考え、改めて、今回の事件の対応がどのようなものになるのか、興味を持って見ていきたいと思います。

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さあ、ついてきて。

20171125 はなちゃん先生:
無風凧さん、今日のトレーニングに行くわよ。さぁ、ついて来て!

写真出典 特命希望様ご投稿
はなちゃん先生、いつも元気そうですね。無風凧も、最近は真面目にトレーニングしています。食欲の秋、ちょっと体重増加が気になり始めましたが、おかげさまで事なきを得ています。

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くだらない報道ばかりで、、、

最近、テレビやネットのニュースは、ほんとうに「くだらない」と感じます。

日馬富士の暴力問題、国民の関心が高いかもしれませんが、これをはじめとした三面記事ネタばかりで、世界情勢を中心とした本来の報道ネタは殆ど、、、無い。

テレビ局の場合、視聴率が大切なことは、かつてテレビ局と仕事をしたことがありますから理解してはいますが、それにしても酷すぎる。

ネットは、かつてはテレビとは異なる、多様性がウリでしたが、結局ヒットランキングで上位を取りに行くと、テレビ局と同じネタに終始することになります。視聴率という言葉と、ページビューと言う言葉、同じ意味ですからね、さもありなん。

何とかならないかなあ、、、


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除湿器(付:中井恒仁&武田美和子ピアノデュオリサイタル )

20161123 かなちゃん(左):

玄関脇って、かなり結露しちゃうのよね、、、窓に水滴が一杯よ。

よしくん(右):
最近、夜は除湿器が動いているから、ウルサクてちょっと僕、寝不足。

写真出典 自前のα350
そうなんです。無風凧のマンション、気密性が高すぎて、なかなか湿気が外に出て行かない、、、ので、除湿器が大活躍!でも、この時期、「鍋物」は止められない、、、ので、除湿器さんに頑張ってもらうほかありません。

さて。昨日の中井恒仁&武田美和子ピアノデュオリサイタルのImpression。

このお二人のデュオリサイタルには、3年連続で伺っていて、毎年大満足です。今年は、

  • チャイコフスキー: 「交響曲6番悲愴」
    (作曲者によるピアノ連弾版)
  • ムソルグスキー:「展覧会の絵」
    (E.ナウモフによる2台ピアノ版)

で、今年も楽しませていただきました。

悲愴は、交響曲として良く聴くのですが(無風凧としては、チャイコフスキーのシンフォニーの中では4番が一番好きですけどね)、作曲者自身による連弾版があることは不勉強でした。オーケストレーションする前に、草稿としてピアノ譜がある場合がありますが、そういう「中途半端」なものではなく、きちんと連弾用になっていて、、、大変すばらしいものでした。

この演奏会に限らず、開演後15分くらいは「音が落ち着かない」のは仕方がない事。2楽章の終わりあたりで、ちょっとだけ、「響き初めて」、3楽章のアレグロで完全に会場を飲み込みました。4楽章の最後、pppppp の音を叩いた後、しわぶき一つしなかったことが、この演奏のレベルの高さを証明していると言えます。久しぶりに息をのむ演奏で大大満足でした。

展覧会の絵は、原曲はピアノですが、ラベル編曲のオケ版や富田勲のシンセ版、吹奏楽ファンならフィリップジョーンズ版など、色々な編曲があります(コチラ 等参照)。無風凧も好きな曲なので、色々聴いていましたが、この2台ピアノ版も不勉強でした。演奏効果は高く、色々と挑戦はしていると思いますが、、、ナウモフの「編曲の意図」が見えにくく、そのため、原曲の主張(ロシア的な和音等)が不十分にパロディになっていて、かなりストレスを感じました。もっとも、こういう編曲を好む方も沢山いると思いますし、演奏効果は絶大ですから、「良い編曲」なのでしょうけど、、、無風凧の好みではなかった。

12月、お二人は、リスト編曲の「合唱」を連弾します。そのチケットも既に入手済。今から楽しみです。

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上から目線(ISO認証について)

神戸製鋼のデータ不正事件をうけ、品質管理の国際認証である「ISO9001」が取り消されました(コチラ など参照)。

この記事を読んで、無風凧は少し違和感を覚えました。というのも、 「ISO自身も不適格な部分があったのではないか」と、考えるからです。

ISOの認証が正しく行われているならば、何年もにもわたって不正が行われているはずがありません。少なくとも、それを見抜くだけの審査方法を持っていなかったということになります。これは、改善の余地があることを示しているとともに、このままでは国際認証の信頼度を落とす事を意味しているといえます。

つまり、神戸製鋼のデータ不正事件は、ISOの不備を指摘している、とも言えるわけです。

それを、 「認証取り消し」とは、自分たちのことを棚に上げて、、、言い換えれば、上から目線で一般企業を見ている。こここに、無風凧は違和感を覚えます。

それでも、ISOに頼らざるを得ない現状、どのようにすれば良いのかなぁ、 、 、と、思いをめぐらしています。

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キャバ嬢。

20171121b キャバ嬢(キャバリエのお嬢さん):
無風凧さん、今日もいらっしゃ~い!

写真出典 自前のα350
無風凧は、健康のために毎朝お散歩しています。お散歩、というよりは、「わんこたちに会いに行く」という方が正しい鴨しれません。写真のキャバリエも、よく遭うわんこです。とても人懐こいわんこです。
最近は、めっきり日が短くなり、朝6時はまだ暗いのですが、、、、わんこたちに会いに、明日も出陣予定です。

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政治のIT化への提言

阿倍首相が、国会開催に先立ち、所信表明を行いました(コチラ 参照)。

この中に、気になる文言がありました。それが、

お約束した政策を一つひとつ実行に移し(出典は 上記リンクを確認下さい)

確かに、、、自民党としては、公約したことを実行に移すことが大切です。これが、現代日本の「政治」における「正」です。でも、例えば「改憲」を支持している方は、現時点では半分以下です(コチラ 参照)。過半数国民が支持していないことを実行していく、、、これは、オカシイと思いませんか?

これは、現在の「立法の仕組み」「行政の仕組み」の不備と、日本人特有の「合意手段」が引き起こしている矛盾です。

簡単にいえば、「公約10個のうち8個OKなら残りの2つ反対でも投票せざるを得ない」というタイプの投票の仕組み、立法の仕組み、選挙権者の意思決定の過程、に起因するものです。この手法を用いれば、「どんな反対の内容でも合法化」することが出来ます。少なくとも、、、今の施策決定方法では、国民の意志とは異なる決定が合法化されることは、事実です。

IT技術の進化で、選挙も「IT化」される時代になってきました。そういう時代、公約の「一つ一つに是非を投票する」ことも、容易に実現する時代です。もりかけ問題のようなくだらないことを議論する時間があれば、「ITを用いていかに直接民主政治にするか」を議論してほしいと思います。

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事実の確認の責任

日馬富士の暴力問題が、随分報道されています。腕力による暴力は、勿論非難されて当然だとか考えますが、併せて、言論による暴力も、許されざる行為だと考えます。

言葉による暴力。それは、ここでは「事実でないことをあたかも事実のように報道し、その上、その誤認した内容に対して、訂正しない」ことを、指しています。

マスゴミは、誤報をした場合でも、次に報道する内容を常に「新事実」と称することにより、誤報に対して責任を口にすることはありません。これは 、 一度逮捕されれば真実とは関係なく一生言われ続ける「痴漢冤罪」と同じで、報道されてしまてば、それが真実として噂になり、合意形成が成されます。しかも、昨今のインターネットでは、古い記事が何時までも残っていきますから、「訂正されていない報道=誤報」が、何時までも一人歩き擦ることになります。これを、暴力と言わずに何と言えば良いのでしょうか?

マスゴミも報道機関ならば、事実を報道することは当然として(単に視聴率のための報道から脱却)、その報道内容に責任を取ること、そして、万一にも事実誤認を報道した場合には、訂正するとともに、名誉回復の為の手段(もしくは補償)をして欲しいと、主張します。

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野菜が高い!

夏の長雨のせいでしょうか、野菜が高い。レタス、長葱、大根、胡瓜、ホウレン草、、、5割増か、へたすれば去年の倍値。

無風凧邸は、朝は必ず3種の野菜サラダですし、夕飯は一汁三菜で野菜料理入りますから、いたたたた、、、、です。
と言った中、今週の野菜料理は。
1.牛蒡の土佐煮風
2.ラタトゥイユ
3.継ぎ足し野菜スープ。
など。
継ぎ足し野菜スープは、別名「育てるスープ」。飲むたびに具を足していくと、具材によってスープが濃厚に「育って」いきます。今回は、最初は鶏だしでしたが、たべるたびに野菜の切れ端と水を補充。野菜の種類は、日によって多彩でした。三日目あたりで「育ったなぁ」と言う感じで、とんこつラーメンに負けないくらい濃厚で、とても美味しくなりました。今回は5日間、育てました。
使った具材・野菜(順不同)
鶏、長葱、大根、 人参、 エリンギ、 エノキ、卵、干しシイタケ、 白菜、 モヤシ、 白滝、 豆腐、エンドウ、蓮根、豚のミンチ

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Grace(拡散希望!)

無風凧が大学講師をしていた頃の生徒が、独立起業してシンガポールで頑張っています。その彼が、新しい商品を開発・発表しました。

まずは、コチラ をご覧ください。
#「カラクリ(動き)」があるので、写真で見るよりもGifアニメや動画で見る方がおススメです。

20171117 Grace(グレース)と名付けられたリング・ケース。結婚指輪を贈る時などを想定したものです。ちょっとした「演出用小物」ですが、喜びを倍化させる、とても良い着眼点です。

クラウドファンディング(KickStarter)での資金調達を目指しています。おそらく楽々目標額を達成するのではないでしょうか?

無風凧もさっそく一つ、注文しました。みなさま、応援よろしくお願いいたします。

写真出典 KickStarterのGraceページより

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ボジョレーヌーボー解禁(自分の評価軸について考える)

20171116 今日11月16日は、第3木曜日。ボージョレヌーボーの解禁日です。

かつて。無風凧がワインを飲んでいた頃は、第3木曜日の午前0時、つまり前日水曜日の24時にはワインバーで待機していたことを思い出します。お酒を飲まなくなり、もう9年が経ちます。今日は解禁日だということも、先ほどまで忘れていました(笑)。

ボージョレヌーボーに対する事前の評価は、毎年、過去最良だの何年ぶりの豊作だの言われ続けています。販売促進的には、売り上げが述るようなそのような美辞麗句が続くことが大切なのかもしれませんが、 、 、実際飲んでみて、がっかりすることも多かったように思います。

だから、無風凧は「自分で飲む」までは期待しないようにしていました。前評判関係なしに、自分の舌と鼻と喉でワインを評価する。だから、周りの人とは全く違う評価をしているということもよくありました。

PP(パーカーズポイント)も、無風凧の評価と逆になることもよくありましたが、元来ワインなんて自分の好き嫌いで充分。

翻って、演奏の評価や絵画の評価など考えてみましょう。人気が出始めると評価が上がる、ということがよくあります。本当に自分の好みで評価をしているのかな、と無風凧は不思議に思います。

周りの風潮などに惑わされず自分の評価軸を確固として持つ。そういう人生を歩んでいきたいと思っています。

写真出典 ゆんフリー写真素材集

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責任の取り方(2)

希望の党の小池代表が、代表を辞任しました。共同代表選挙が終わったばかりなので、少し早すぎるような気もしますが、情勢を考えると仕方がなかったのだと思います。ただ、マスゴミの弁ではありませんが、いささか無責任のような気がします。

「新しい執行部が出来て、創業者としての責務を果たすことができた」のが辞任の弁ですが、それは表向きの理由で、実際はどういうことだったのか。燃え尽き感説、責任説、投げ出し説、、、色々ありますが、今回は、責任の取り方、として論じます(注)。

以前、責任の取り方という記事を書きました(こちら参照)が、やめること、は責任を取る1つの手段ではありますが、場合によっては単なる責任放棄、ともいえます。例えば、今回の希望の党の場合、共同代表選挙は小池さんが代表でいることが前提でなされたものですから、その小池さんがいなくなることは、代表選挙自体の存在意義にもかかわります。その意味では、無責任な責任の取り方、といえるでしょうし、共同代表選挙以前に、代表を辞任するきだったのではないか、と思わざるを得ません。

しかし、共同代表選挙以前にそのタイミングがあったのか、 、 、情勢を考えると難しいですね。

このように、責任を取る、もしくは責任の取り方はとても難しいものです。何か活動を起こす前に、失敗した場合の責任の取り方を考えておく。これは、リーダーにとって必須のことだと無風凧は考えています。

注: 小池氏の「本心」での辞任の理由は、この記事では論じていません、、、責任として辞任した、という前提での事例考察です。

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お見合い仲介。

今日は、お見合いの「仲介者」として、席に参加します。


今回。

無風凧と Mさんが旧知の中で、以前Mさんから「Sさんがお相手をさがしているので、良い方がいらっしゃったら」という相談を受けていました。

無風凧の、昔の教え子のRから「相手を探している」というメールをもらい、、、では、ということで、SとRのお見合い、を設定した次第。

無風凧は、Sさんと一度だけお話したことありますが、Rとはお似合いだな、と確かに思っています。

これまで、お互いを知っていてのカップリングパーティーの設定などは何度も経験していますが、仲介者同士で「お似合いですね」となって、のお見合い設定は初めて。人生初の「お見合い仲介」、、、結果はどうなるのでしょうね。ドキドキです。

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そろそろ、、、(付:座間事件で考えるSNS)

20171113 猫さん:
そろそろ、年賀状の用意している人が増えてきたね。来年は戌年。犬さんたちは良いなあ、、、なぜ猫年ってないんだろう?

Cc 写真出典 GATAG フリー画像・写真素材 撮影Tnhntx 様

だんだん、歳の瀬が迫ってきましたね。年賀状の準備、今年こそは早めに!と思いつつ、、、

さて。

発覚から2週間が過ぎようとしている座間9連続殺人事件(コチラ 参照)。

この事件の特異性は、SNSを通じて、被害者と加害者が接触していたと同時に、SNS特有の「共感」「同族意識」が結ばれていった、ということにあると思っています。野田聖子総務大臣が「SNSのサービス提供者に、しっかいりと対応してほしい(たとえば コチラ 参照)」としています。

ここで考えるべきこと。(一昨日の「絶対は無い」に繋がる主張ではあるのですが)

  1. (例えば)包丁で殺人事件が起きた場合に、包丁製作工場に注意喚起をするのか?
  2. SNS上の合意形成、もっと言えば「コミュニケーション」を、実社会のコミュニケーションと同様の手法で取り締まろうとしても、(少なくとも現時点では)無意味である
  3. 必要以上の「対応」は、プライバシー侵害と同時に、「テロ等準備罪」と接続することになる。

詳細は割愛しますが、SNSを始めとした電子コミュニケーションツールは、登場してまだ20年あまり。これらを使った今の我々が想像もしないような事件・事故は多発するでしょう。それらから、どうやって自分を守るか。結局は自己防衛しかないのかもしれません(例えば、コチラ コチラ 参照)。

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絶対はありえない。

ドローンの事故がまた報告されました(例えば コチラ 参照)。

ドローン、、、もう知らない方はいらっしゃらないと思いますが、ヘリコプター型の遠隔操作飛行物体。Wikiでは「遠隔操縦あるいは自律式の無人航空機一般、ないしマルチコプターのことを指して使われている場合もある」と説明しているものです。

ドローン自体は、5年ほど前から火が付いて瞬く間に広がった感があります。その際に、「輸送手段のイノベーション」「イノベーションの代名詞」的に扱われています。まあ、流行り、、、ですね。

ヘリコプターと言えば、群馬県の上野村でヘリコプターが墜落、4人の方が無くなりました(コチラ など参照)。

ドローン、ヘリコプターは言うまでもなく、森羅万象、事故や不具合はに対して、「絶対」はありえません。もし、ドローン事故を起こさないようにするなら、「ドローンを使わない」以外の方法はない、ということは自明。

判りやすくいえば、原発事故を起こしたくないなら、原発は使わない。自動車事故が嫌なら、自動車は使わない。ということ。でも、その分「事故が起きない場合の利便性」が損なわれることも自明ですね。

便利さをとるか、事故回避をとるか。これをアウフヘーベンすると、事故が起きたときの補償を事前に決めておく、だと思います。例えば、ドローンの墜落事故が起きたときには、「無限回復責任」を課す。乱気流が起きようが、バッテリーが弱っていようが、使用者の責任とする。そうでないと、被害者が泣き寝入りするだけ、ですからね。

ちょっと論理飛躍ありますが、今回の主張は、事故が絶対に起きない、ことはありえないのだから、使用者が無限責任を負うような制度が必要、とまとめます(詳細を改めて書きたいと思います)。

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天国からのSuggestion、、、代数学とは何か(シャファレビッチ著)

最近、無風凧はシステム論やらオートポイエーシスの数理表現やら組織(ビジネス)の代数やら、、、なんだか夢の中で思考をしているのですが(というのは、余りにテーマが大きすぎて、まだターゲットとして絞り切れていない、という意味。自分の中では全部つながっているですけどね)。

昨夜、3年振りに鈴木さんと会話していました(鈴木さんについては、 コチラ コチラ参照)。勿論、夢の中です。その夢で、13年前に買った「代数学とは何か(シャファレビッチ著、Springer-Verlag Tokyo,2001)」を読んでました。

この教科書、概論的に読み物として斜め読みしかしていなくて(もっと言えば、鈴木さんとワインのオツマミ代りにネタにしていただけ)、持っていることすら忘れていた。、、、

引っ越ししたこともあり、書棚に無く、何処に置いたかも忘れていたのですが、先ほど、納戸の奥の段ボールに入っているのを発見。早速、パラパラ読み、、、内容を殆ど忘れている自分にショック受けました。

その「日本語版への前書き」から。

「代数学は、ほかの分野(幾何学、解析学、物理学さえも)の情報を、それを使って書き下すことができるアルファベットのようななものである。」

「代数学が、ギリシャ語やラテン語のようなある固定したアルファベットを使うのではなく、数学や物理学の新しい分野を研究するための新しいアルファベットを作り出すことである(整数、複素数、群論はそのような異なるアルファベットの例である)」

なんだか、自分のもっている「ターゲットが絞り切れていない」状態を脱却するための、ヒントをもらったような気がしています。。。

ウソのような本当の話。鈴木さんと最後に会ってから、、、丁度8年くらい、、、です。鈴木さん、ありがとうございます。ご冥福を、改めてお祈りします。

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あらら、、、先に行っちゃったのね。。。。

20171110 はなちゃん先生:
あらら。。。無風凧さんの靴が無いわ。もうトレーニングに行っちゃったのね、、、、ちょっと寂しいかも。

写真出典 特命希望様ご投稿
はなちゃん先生、首輪が変わりました! 赤い首輪がお似合いですね、この写真は、玄関の上に上がっているのも珍しい(?)
特命希望様にはいつもはなちゃん先生のお写真、ありがとうございます。

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親の七光り(?)

先日、イヴァンカ米大統領特別補佐官の「国賓待遇」のことを書きました(コチラ 参照)。少し付け加えてさせて戴きますが、「イヴァンカさんに本当の実力が無い」と言っているわけではなく、「血縁という非公式コミュニケーション(いわゆる信頼度)」の例として挙げさせていただいています。

これを、ほかの言い方でいえば「親の七光りというのでは?」とある方から指摘をうけました。アメリカの「大統領補佐官指名の制度」が、どのように制度化(公式コミュニケーション)されているかはわかりませんが、親の七光り、のように見えるのは否めません。そういえば、親の七光り、は非公式コミュニケーションの一例ですね。

そして、その方から面白い話を伺いました。

ある大学、TG大学には、Y派と I 派の二つの派閥があるそうです。卒業生総代は、Y派と I 派が交互に選出される暗黙のルールが出来上がっていた。しかし。 Y派のH教授の娘が卒業の年には、本来 I 派が総代になるべきところ、H教授の娘が総代になったそうです。つまり、Y派が2年続いた。

学生たちは、「大人の事情だね、、、」と諦め顔だったそうで。 H教授の娘は、交互総代というルールを暗黙のルールを破るだけの絶対的な実力があったのかもしれませんが、学生たちが「大人の事情だ」というところを見ると、、、これは、完全に「親の七光り」の例でしょうね。

無風凧は思います。たかが卒業時の一回の出来事かもしれませんが、、、ここでの「評判(スキャンダル)」を親が居る間は隠せるでしょうけど、いなくなった時には、手痛いしっぺ返しがあるに違いありません。そのように考えると、親の七光り、の使い道は難しい。

それと同時に、前回と同じですが、「非公式コミュニケーションに基づくDecisionhは避けなくてはならない」と主張します。。

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午後のまどろみ(付: カタロニア問題)

20171108 とらねこさん:
今は午後のお昼寝タイム、まどろみを楽しんでいるんだ。また後から、遊びに来てくれよ。

写真出典 自前のα350

ねこさん、気持ちよさそうですねえ、、、、

さて。今回はカタロニア問題を語ろうにゃ(爆)。
吹奏楽の世界では有名な間宮芳生作曲「カタロニアの栄光」のカタロニアは、最近では「カタルーニャ」と書かれることが多くなりましたが、同じ地域(現時点ではスペインの州)を指しています。また、セオドア・セブラック作曲のピアノ曲「セルダーニャ」は、カタルーニャ州の地域を指しています。音楽になじみが深い地方?

数年前からくすぶっていましたが、10月の住民投票で「独立」が過半数になったとか、独尾立宣言をした、とか、色々な報道がなされています。今日時点は、カタルーニャ州自治政府は、独立宣言を賛成多数で可決したけど、スペインの中央政府から、自治権を停止され、前首相が拘束されている、という状態です。

民族自決主義、を建前にすれば、独立が正しい選択、、、のように思いますが、実際はそう簡単ではないようです。統計情報が正しいという前提で、独立賛成・反対は、拮抗している(コチラ 参照)。州民の総意で、、、という感じではないように見えます。独立したら独立したで、「スペインへの復帰問題でもめそうだ、、、」と無風凧的には思います。民族自決、に頼ることの難しさ、です。

アイルランド戦争、スコットランド独立問題、イギリスのEU離脱、、、似たような話はいっぱいあります。いずれも、圧倒的多数、、、という感じではないですし、問題や紛争のタネとして残ってはいるけど、独立せずに終わった例も多い。

それより、今回カタロニア問題を調べていて、もっと面白いことを発見。

セブラックの名曲で有名な「セルダーニャ」は、カタロニアの一地方、と書きましたが、実際は、「国を跨った民族(地域)」があることを、無風凧としてはPointOutしたいと思います。セルダーニャは、フランス領セルダーニャとスペイン領セルダーニャがある、ということを初めて知りました。セルダーニャ人たちが、セルダーニャとして独立したい、と主張したとしたら、、、カタロニア州政府はどのような対応をするのだろう?と、とても興味を持ちます(現時点では独立問題は起きていないように認識していますが、実際はどうなんでしょうね?)。セルビア-コソボ問題みたいになったりして、、、

ヨーロッパの歴史は複雑で難しいです。

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犬も歩けば、、、自己防衛の限界?

つい先日。

打合せの時間調整で某駅前の ドトール でコーヒーを飲みながら、スマホの詰将棋をしていた時のこと。お店は70%くらいのお客さんが居ました。

無風凧のあとから、隣に座った女性(20歳くらい?)がなにか、ぶつぶつ、言っているな、と気にはなったと思ったら、突然、無風凧に向かって、

「あなたは、自分が気持ち悪い(人だ)ということに気が付かないのですか?」
「そこに座らないでください。」

と、カナ切り声にも近い声で叫んできました。無風凧が、

「私がなにかしましたか?」
と尋ねても、
「触らないでください!はやく出て行ってください。あなたは気持ち悪いのです。そこに座らないでください!」
と更にエスカレート。お店の中のお客はみなさんこちらを向いている。勿論、無風凧はその女性に触るはおろか、20㎝は離れていましたし、そのほかまったく身に覚えのないこと。
再度、
「何かしましたか?」

と聞いても、
「そこに座らないでと言っているでしょ!あなたは気持ち悪い」
とまたまた大声を上げました。

無風凧は、、、君子危うきに近寄らず、でお店を出ることにしました、、、が。そのあとに考えました。「触っていないこと」の証明はできません。若い女性が大声で主張するというSituationでは、「お客は不公平な証人」になってしまう可能性もあります。こんな場合、どのようにして身の潔白をしめせば良いのか、、、まったく答えが見えません。

上記は、痴漢冤罪、と同じですね、、、電車では吊り輪や棒を握るなど、必ず手が見えるように心がけていますが、喫茶店の隣に座った方からいきなり言われると、、、どうしようもありません。自己防衛の限界を越えています。

それ以来、家を出る事すら、正直言えば怖い。、、、引きこもりになりそう、、、な無風凧です。

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トランプ米大統領来日、、、ゴルフ外交を考える

トランプ米大統領が初来日。昨日5日は、安倍首相とゴルフを楽しまれたそうで、プロゴルファーの松山英樹さんも一緒にラウンドを回られました。、、ゴルフ外交です。

接待ゴルフ、接待麻雀を始めとして、「非公式な公式」コミュニケーションは、珍しいことではありません。飛び込み営業の際でも、趣味を始めとした「共通の話題」でIceBreakすることが、成功の秘訣でもあります。でもそのうえであえて言いたい。

趣味の世界(非公式コミュニケーション)での「信頼度(注)」を、公式な「実力(注2)」とを混同してはならない。

例えば。2人のうち一人を合格させることを考えましょう。片方は、ゴルフをよくする仲間だけど、テストは50点。もう一人は、ほとんどよく知らない学生だけど、テストが70点。この20点差を、「ゴルフで良く知っているから」という理由で合格背させてしまうことは、政治の世界に限らず沢山あると思います。、、が、実際は70点の方が「本来」は合格すべきでしょう。

同様は、大統領補佐官のイヴァンカさん。大統領の娘、という求心力で色々な政治案件に意見を述べ、日本政府の国賓待遇出迎えていますが、、、これは、大統領とその娘という血縁信頼度に、頼っている、、、何か公平性が失われているな、という感じがします。

よく、ビジネスは人脈だ、と言われますが、人脈で行うビジネスや政治程、恣意性が高く公平性が失われます。また、本当に良いもの、、、真にInnovativeなものには当たらなくなる確率が上がります。無風凧としては、「実力主義」な世の中になってほしいと思っています。

注: 信頼度、という言葉は適切ではないかもしれません。良い言葉が見つからないのですが、論理的客観的事実よりも、そして、責任能力が無くてもその人の言葉を信じてしまう、という意味での信頼度と使っています。

注2: 実力、も同様です。実力という言葉が正しいとは思わないのですが、ほかに適切な言葉が見つかりません。

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たまには若者気分で!(付: iPhoneX)

20171105 手招きハチくん:
無風凧さん、たまには若者気分で渋谷でブイブイ言って遊ぼうよ\\(^.^)//

写真出典 自前のARROWS
最近、渋谷に寄ることが減りました。一つには、東横線からの乗り継ぎが悪く、ついつい副都心線を使うことが多いからです。名曲喫茶ライオンにも、いくことがなくなったので、、、。
先日、渋谷の東急ハンズに行く途中で、写真の「手招きハチ」くんに遭遇。偶に渋谷もないな、と思いました。


さて。

若者気分、、、というわけではありませんが、AppleのiPponeXが発売になりました。無風凧は、今はAndroid SmartPhoneを使っているのですが、久しぶりにiPhoneを使ってみようか、、、と色々調べています。

その中で、どうしても気になるのは、世界でのシェアと日本のシェアが逆転している、ということ。
日本では、iOS(69%) > Android(30%) ですが、世界規模で見ると、 iOS(20%) < Android(70%)です。
不等号の向きにお気を付けください。世界規模では、圧倒的にAndroidが強い、、、なぜ日本とアメリカだけいOSがシェアを獲得しているのか、、、色々な解説記事があるとは言う者の、無風凧が納得する理由がありません。
真の理由は何なのか、今日も悩んでいます。

数字出典 は、 XERAのHomepage より (コチラ

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サザエさん、、、東芝問題

以前、「東芝最大の財産はサザエさんである」、旨の記事をUPしました(コチラ 参照)。過去の記事を読んでいただければお分かりいただけますが、「信頼・歴史」の代名詞です。

そのサザエさんのスポンサーから、東芝が撤退することが本決まりになったようです。(コチラ 参照)。

「視聴率が落ちているから」「今の時代に合っていないから」「経営合理化」、、、色々な理由があるのでしょう。短期的には、財産価値が低く見えるかもしれません。しかし、50年に近い時間・実績を、どのように価格化(財産価値化)すればよいのか、、、大きな判断だと思います。

マンネリ化、視聴率低迷を理由に終了した「水戸黄門」。これは、BSで復活しました。初回は、BSでは異例の6.4%。勿論、オーバーシュート(初回効果)かもしれませんが、、、時間の積み重ね・信頼は代替できない価値があるものです。時代にそぐわないのなら、時代に合うような工夫をする、、、など、方法は幾らでもあったのではないでしょうか。否、無風凧がプロデューサーなら、幾つかのアイデアあります。

いずれにせよ、東芝にとっては、大きな財産を失うことになります。

ネット上の情報では、「サザエさん」は、高須クリニックがスポンサーを引き継ぐ可能性があるようです、、、高須クリニックは、かなり大きなAdvantageを買い取った、、、そのように思います。

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みなさま、「ランキング」にご注意!(ランキングについて考える91)

昨日のJNNのニュースです。(コチラ 参照)

<引用>
自作自演の比較サイトで、評価を高く見せかけていた会社に初の措置命令です。
<引用終わり>

簡単な例でいえば。
1) 同じサービスを提供する会社を3つ作る。
2) その3つの比較サイト(ランキングサイト)をつくる。
3) その中には、必ず1番のサイトが存在する。
という、広告手法です。その「1番」のサイトは、ランキング人仮説を考えるまでもなく、第三者から見れば、優秀なサービス提供者ということで、業務が集中します。残りの2つの会社はもともと「ダミー」ですから、仕事が来なくても、問題ではありません。ある意味では、SEOの独自版ということができるでしょう。

これに対して、消費者庁から措置命令が出た、というものです。ある意味では、「ランキング」の本質を突いた公告方法です。

ランキング、自体は、価値が無いものに価値を付与する、という効果があります。コンクールビジネスが、その良い例です。コンクール結果は「公正な物」という大前提が一般人にはありますが、そこに恣意が入ったら、、、上記の比較サイト広告手法と同じことになります。

その意味では。

今回の「比較サイト」広告手法と、そのほかのランキング応用ビジネスの「明確な線引き」することは難しいだろう、と思っています。

私達一般人は、、、ランキング人仮説に基づき、ランキングに賢く接して騙されないようにする、ことが必要になってきます。

皆様、沢山ある「ランキング」にご注意ください。

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次の獲物(付: E-Learning 考)

20171102

オオヤマネコさん:
次の獲物にLock On!
Cc 写真出典 GATAG フリー素材集 撮影 Tambako the Jaguar
無風凧は、次の獲物を狙う前に、少し休みたいなあ、、、と思ってしまいます。これも「歳」でしょうか、、、、

些か旧聞に属しますが、E-Learning Award 2017に行ってきました。ここ数年、E-Learningは日進月歩、という感じがあります。
今回、特に目を引いたのが、「LMS(Learning Management System)」の進歩。最近のAI(人工知能)を用いれば、一人一人の学習履歴や理解度によって、教材をかえることが可能です。それに準ずるシステム開発や教材提案が増えてきました。無風凧が丁度2001年頃に、Context Base 教材を提案して特許を書きましたが、それが丁度今、花開いている、という感じです。

しかし。無風凧は思います。今のE-Learningは、「スキルアップ」は出来ます。スキルで処理できる「発想」も可能になります。あたかも、「数が増えることが質的な変化をもたらす(実際は数が増えただけであるにも関わらず、質が変わったように見える)」ように。

でも、、、本当の意味での「発想」、、、つまり、天才的な独創性、、、は、AI BaseのE-Learning下では育たない、否、阻害することになる。音楽を美しいと思う心、自然を愛でる気持ちは、E-Lerningでは育たない。ただ、「これが良い音楽だよ」という知識が増えて、条件反射的に「良い物」と認識するようになるにすぎないと思うのです。

本当の意味で、どのような教育が良いのか、、、改めて考えさせられるイヴェントでした。

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社会とシステム論、、、杉田元宣著

神田の古本市で、「社会とシステム論 (著者杉田元宣、みすず書房、1976年)」という本を買いました。副題として、「情報と応答・制御jの機構」が付いています。

この本は、1969年から1976に発表された論文の論文集の形式をとっていますが、所謂学術論文をまとめたものではなく、概論や哲学書的な思想をッかいたものです。

今から40年以上前に書かれたものであるにも関わらず、、、本質は今でも十分の説得力を持っています。いや、最近は議論にはのぼっていないが本質をついた課題も指摘されている、という意味では、今でも「新しい」と感じる方がいるのではないでしょうか。

無風凧は最近、オートポイエーシスの数理表現、組織構造の数理表現などを漠然と考えていますが、その参考になる、というより、40年前にここまで考えていたのか、と少し驚いています。なにごとにも先達はあらまほしきことなれ、です。

それに加えて。この本を買うことにしたキメ、は序論2ページ目に書いてあった下記文章(抜粋)。

(前略)、、、情報としてでんたつしようとしていないのに、何かが入力信号となり、感動されて情報となることがある。このため、久米仙人は制御系がくるって墜落事故となった。もし飛んでいたのが天女だったら別の情報となったらどうし、仙人でも既婚者ならまた別だったかもしれない。また地上の女性が意識して脚をみせたとすると風俗罪になるところだろうが、情報を送ろうなどと意識もしないで無心に洗っていたのにへんに解読されたのだろう、、、、(後略)

日本の古典に例をとり、判りやすくユーモアを込めて書いいます、、、が、今の読者には「何を書いているのだろう?」と不思議に思う学生も多いのではないでしょうかか。そのような意味で、日本人固有のリベラルアーツは、こういうところにも生きているのだ、と感心した次第。

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