ルールと正しさと、どちらを選びますか?(高校野球考)
無風凧は、高校野球(所謂春夏の甲子園大会)はあまり好きではありません(コチラ 参照)。というのは、現代において、「教育的ではない判断」がまかり通っているからです。
というのは、「正しい」よりも「審判の判断」が絶対に優先されること。例示はしませんが、高校野球では審判の判断に選手が「疑義を唱える」だけでも、大変なことです。しかし、、、書くまでもないことですが、ビデオ再生や、カメラの性能アップの結果、誤審であることが明らかであることが多い。でも、それを改めることをしない、、、審判絶対主義。ルールの上では、「審判絶対」というkとになっているわけですから、「悪法と言えども法」ということであれば、審判の判断を正としなくてはなりません。でも、間違いを「潔く改める」ことをしないという判断は、前時代的であると同時に、教育的では無いと考えます。。。
さて。今回はそれに加えて、新たな問題点。
今年の夏の甲子園。仙台育英対大阪桐蔭の試合。最終回、大阪桐蔭の「一塁の踏み忘れ」は、とても劇的な、、、という感じがします。しかし、これには伏線があるように思います。7回の仙台育英の攻撃の際、やはり一塁でのクロスプレーがあり、その際に大阪桐蔭の一塁手が痛い目に遭っている。だから、普段の守備とは少し違う、、、判りやすい表現をすれば、「ビビった」守備になっているように思うのです。真実はどうか判りませんが、このような、ラフプレイが勝敗を左右することは、想像に難くありません。
故意のラフプレー。スポーツマンシップのある選手なら、というより、スポーツをする上では、「無いことが大前提」であることは言うまでもない。しかし、ルールとして認められる範囲、、、言い換えれば、故意であってもバレナケレバ良い、、、というルールの下では、ゲーム理論的にいえば「やったもの勝ち」なのです。正々堂々と戦っても、負けてしまえば「負け犬の遠吠え」と思われてしまうことになります。
少し、論点がボケてきましたので、今日はここまで。まとめると、「正さって何ですか」を、高校野球をネタにもう一度考えてみたいな、っていう問題提起でした。
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