麻生英臣(好きな音楽2017年9月)
麻生英臣、と言う作曲家の方と知り合いになりました。
麻生氏は、音楽で町おこしを、と言うことで日本中の都市を周り、その土地の印象をメロディーにする、と言う作品を作られています。
非常にシンプルで分かり易い、のが麻生氏の音楽の特徴。口ずさんでみたくなる作品が多い。
彼の作品によって、町の印象が良くなる、と言うことは容易に想像出来ます。
こう言う形での町おこし支援(地方創生)もあるのだなぁ、と感心致しました。
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麻生英臣、と言う作曲家の方と知り合いになりました。
麻生氏は、音楽で町おこしを、と言うことで日本中の都市を周り、その土地の印象をメロディーにする、と言う作品を作られています。
非常にシンプルで分かり易い、のが麻生氏の音楽の特徴。口ずさんでみたくなる作品が多い。
彼の作品によって、町の印象が良くなる、と言うことは容易に想像出来ます。
こう言う形での町おこし支援(地方創生)もあるのだなぁ、と感心致しました。
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今まで、ディナーミーティングでした。
3時間近くかかりましたが漸く終了。急いで帰宅して、明日までの仕事を一つこなさなくてはならないのですが、、、急に脱力。スタバで座ってます。
最近、もう一踏ん張り、が効かないようになってきました。歳ですかね、、、ちょっぴり悔しいです。
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一昨日の続きです(コチラ 参照)。
今日は簡単な実験から。まず、次の食材の名前を10秒間見てください。無風凧邸の昨夜の夕食の食材です。
そして、10秒目を閉じて、それから、画面を見ずに何が書いてあったか、紙に書きだしてみてください。
恐らく、7個位は思い出すことが出来ると思います。そして、、、ごぼうは、100%の方が回答できていることと思います。
食材を、思い出すままに11個並べました。夕食の食材、という一塊の知識を、11個に区別する、ことをしたのが上記の例。この「順番」は、何の意図も持っていません。思い出した順番です。でも、人に伝えるために「書く」ことをするには、どうしても、「順番」に書かざるを得ません。もし、口頭で伝えるにしても、「喋る順番」があります。
つまり。
いわゆる「ランキング」ではなく、「羅列(=区別したものに命名しただけ)」であっても、区別したものを記録して人に伝えるようとする瞬間、もっと言えば「知識」となった瞬間に、「順番」をつけざるを得ない。そして、その「無作為の順番」は、上述の例でいえば「記憶力テストで思い出される食材のランキング」の結果を大きく左右します。
順番のついていない、区別した結果の羅列が、既にランキングを生み出している。区別しただけのつもりなのに、既に差別を行っている。このアナロジーは感覚的にご理解頂けますか?
「はじめにズレ(EXCES)があった」は、「構造と力(浅田彰著)」の冒頭の言葉ですが、ズレを認識した時点で、既にランキング=順序付けが行われている。これは、人間が知識(知能、という方が良いかもしれない。細かな術語は改めて考えるとして)を持つことと、同値であると言ってよいと考えます。
極論すれば、区別と差別にズレはない。
ようやく準備ができましたので、次回は、ランキング人仮説と、「いわゆる差別問題」の関係を論じたいと思います。
人種差別、国民差別、宗教差別、身分差別、、、「人」は古今東西、差別をしている生き物です。「差別はいけません」といくら教育しても、根本的な解決はなされないまま、おそらく、未来永劫進むのではないでしょうか。
なぜ、差別が無くならないのか。今日はランキング人仮説に入る以前の視座、もう少し原始的に考えてみたいと思います。
およそすべての動物は、「区別する」という能力を持っています。例えば目の前にあるリンゴ。これをリンゴと認識するには、まず、リンゴ以外の総てと対象としているリンゴを「区別」することが必要です。これを少し高度にすると、例えば、食べ物。食べてよいものであるかどうか、本能的に若しくは後天的に区別が出来ています。このような区別は、すべての動物に備わっている能力(本能)です。
このように、まず、「区別する」ことは、すべての動物の本能だとしたうえで。
人の持っている「理解する(分かる)」ということを、もう少し分解して考えてみましょう。
「理解する」「分かる」というのは、区別すること、が前提であることに気が付くと思います。例示すると。
箱の中に、丸いものが沢山入っています。この時点では、箱の中のまるいものは「まるいもの」の集合ですが、ここで誰かが「色が違う」ということに「気が付きます」。箱の中には、赤い球と白い球がはいっていたのです。赤と白。この「違い」で「分ける」ことが「分かる」ことの最初の行為です。「赤」「白」とい名前が付くのは後々の作業で構わないわけですが、まず「違いがあり」「分ける」ことから、分かる、に繋がるわけです。その二つを区別するために、「あか」「しろ」と名前を付けて、知識の共有化が始まります。
ここで。
人間は、「箱の中に「赤」と「白」の球が入っていた。」という知識を人類が得たとしましょう。
この、「箱の中に「赤」と「白」の球が入っていた。」という文章をみて、「あれ、不思議だ」と思いませんか?
そう。赤と白には、順序も差別もありません。でも、無風凧が書いた文章では、赤が「1番目」に書かれていて「白」が二番目に書かれている。単なる区別をしただけなのに、知識とした瞬間に「順番」がついている、、、この順番が「差別」に繋がっていきます。
順番が差別につながっていく、のロジックについては、日を改めて書くとしましょう。
まずは、人類は本能的に差別する動物である、の基本ロジックを再度確認してみてください。
時々、無風凧にこいう依頼・問い合わせがあります。
「TEDみたいなプレゼンテーションをしたいのですが、どうすればできますか?」
TED.ここではTEDカンファレンス、、、ご存知ない方は、まず「コチラ」 をご覧ください。Technology, Entertainment, Design の頭文字をとって、TED. 簡単にいえば、「技術や商売やデザインの提案をする集会」というものです。いまは、世界中にTEDは配信されています。
TEDカンファレンスのPresentationは、たしかに、どれもおおしろいものです。一般教養としては秀逸ですし、Presenationの「方法」の参考にもなります。そして、英語の勉強にもなります。でも、TEDのようなPresentationをしたい、という方の希望には、少し違和感を覚えます。
というのは。 Presentation、、、の目的は何? が、ずれていると思うからです。
Presenationの目的が、「聴衆に共感してもらうこと」という現代の風潮に反対する物ではありません。でも、ここでもう一つ言いたいことは、「より深い理解をしてもらうこと」が、Presentationの目的であることもあります。理解してもらうことは、共感を得る事よりもはるかに難しいことです。
Presentationを、営業課員が、上司への自分の業績報告だとしましょう。自分の業務への「共感」は、もとより存在する上で、数字をきちんと「理解」してもらう必要があります。短い時間で、アピールする必要があります。このような際に、TEDスタイルのPresentationは、適していません。
同様に、Presentationを大学の講義だとしましょう。共感ではなくて「学生に理解」させることが必要です。その為の方法として、TED方式は無力と言ってよいでしょう。
TEDは、、、新しいアイデアを、一般大衆(専門家というよりは、普通の聴衆という意味で)に向けて、楽しんで貰う、というものです。伝えたいものと伝えたい人が、非常に「限られています」。つまり、Entertaionmentとして楽しんで貰えることが、TEDのPresenttionと言い換えることができます、、、だから、Webで配信されて、VODのように楽しむことができるのです。
だから、誰でもが「TEDのようなPresentationをしたい」という現在の風潮に、無風凧は警鐘をならしたい、と思います。
補足: ビジネスピッチで、TED方式のPresentationを推奨するコンサルタントやVCの方が増えているそうです、、、そういうコンサルタントやVCとは、早く縁を切り、「内容の質を高める」コンサルタントやVCとお話をすることをお勧めします。
今日は、珍しい物を食べたお話し。
先輩方と居酒屋で打ち合わせ。シメに出てきたのが、トリュフの釜飯。 甘辛いタレに、たっぷりのトリュフ。生卵をといたものと刻み海苔を掛けて戴きました。
高級食材のトリュフですから、さぞや美味しいものだろう、と期待したのですが、、、実際は期待外れ。トリュフが土臭くて、無風凧好みではありせんでした。残念至極です。
でも、、、転んでも只では起きない無風凧。再料理してブログネタとしてリメイク。此方は美味く纏まりました。
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ちょっと気になって調べてみました、ブログの連続更新記録。調べる、と言っても、ただググってみただけですけど。
ここでは、「個人が」「毎日」更新することを前提にしています。週一更新の方や、企業の持ち回りブログは除外。
ちなみに、無風凧のブログは、2008年4月23日から3411日続いていますが、、、上には上が居るもので。
Tak Shonaiさんの「Today's Crack(今日の一撃)」というブログ(コチラ 参照)が、本日の調査結果ではブログ最長のようです。Cocolog では、2004年7月1日までしか遡れませんが(その場合は4438日)、その2年半前、2002年1月16日からサイトがオープンしているとのことなので( コチラ 参照)、そうだとすると連続5700日、ということになります。無風凧より、2300日も長いですね、、、感服です。
他に長いブログは、「しらべるが行く」というブログ(コチラ 参照)。cocologでのブログ自身は、2005年9月から4355日なので、残念ながら日本一ではないのですが、御自身のサイト「しらべる」(コチラ 参照)のサイト連続更新記録が、6355日(コチラ参照)なのだそうで、、、脱帽。
これらに比べれば、無風凧の3411日なんて、まだまだひよっこのようなものですが、人生80年とすれば、なんとか15000日に届きそうなので、そこまでは頑張りたいと思っています。
お願い: もし、これ以上に長い記録をご存知の方がいらっしゃれば、ご一報ください。
無風凧は、高校野球(所謂春夏の甲子園大会)はあまり好きではありません(コチラ 参照)。というのは、現代において、「教育的ではない判断」がまかり通っているからです。
というのは、「正しい」よりも「審判の判断」が絶対に優先されること。例示はしませんが、高校野球では審判の判断に選手が「疑義を唱える」だけでも、大変なことです。しかし、、、書くまでもないことですが、ビデオ再生や、カメラの性能アップの結果、誤審であることが明らかであることが多い。でも、それを改めることをしない、、、審判絶対主義。ルールの上では、「審判絶対」というkとになっているわけですから、「悪法と言えども法」ということであれば、審判の判断を正としなくてはなりません。でも、間違いを「潔く改める」ことをしないという判断は、前時代的であると同時に、教育的では無いと考えます。。。
さて。今回はそれに加えて、新たな問題点。
今年の夏の甲子園。仙台育英対大阪桐蔭の試合。最終回、大阪桐蔭の「一塁の踏み忘れ」は、とても劇的な、、、という感じがします。しかし、これには伏線があるように思います。7回の仙台育英の攻撃の際、やはり一塁でのクロスプレーがあり、その際に大阪桐蔭の一塁手が痛い目に遭っている。だから、普段の守備とは少し違う、、、判りやすい表現をすれば、「ビビった」守備になっているように思うのです。真実はどうか判りませんが、このような、ラフプレイが勝敗を左右することは、想像に難くありません。
故意のラフプレー。スポーツマンシップのある選手なら、というより、スポーツをする上では、「無いことが大前提」であることは言うまでもない。しかし、ルールとして認められる範囲、、、言い換えれば、故意であってもバレナケレバ良い、、、というルールの下では、ゲーム理論的にいえば「やったもの勝ち」なのです。正々堂々と戦っても、負けてしまえば「負け犬の遠吠え」と思われてしまうことになります。
少し、論点がボケてきましたので、今日はここまで。まとめると、「正さって何ですか」を、高校野球をネタにもう一度考えてみたいな、っていう問題提起でした。
今から約”&年前。
無風凧の趣味の代表格は、写真。それも「花火写真」を撮ることでした。当時はまだフィルムカメラの時代。レリーズでシャッターを開放して、レンズに黒布でシャッター代りにして、、、こんな話、今の方にはもう解からないでしょうね。
一年で30回近く、花火大会に行った年もあります。大小取り交ぜれば、東京近郊で30回くらいは行けるものです。そのたびに、36枚撮りのフィルムを3~5本使って、、、今から考ええると、相当投資しています。そんな甲斐があり、花火写真はそこそこ以上、自信あります。
最後に花火写真を撮ったのは、1998年かな。この年は、鎌倉と神宮と戸田と隅田川と、、、くらいしか行かなかった記憶があります。それ以降、花火とは縁が切れていました。
昨日。久しぶりに神宮の花火大会に行きました。花火は、見るのも良いし、音を聞くのも良い。「ああ、幸せだなあ」と思う時間を過ごすことが出来ました。カメラは持っていなかったので、手持ちのスマホで撮ってみたのですが、、、全然ダメ。どんなに工夫してとっても、昔の作品の出来には遠く及ばず、悔しさもちょっぴり。
花火大会が終わり、ふと下を見ると、駅に向かう人の洪水。いや、凄いですね、、、昔よりも「人口密度が高い」というか「混雑している」という印象。丁度、この写真のような感じでした(是非、拡大して見てください)。
ふと、昨日の記事(コチラ 参照)を思い出し、、、帰路、色々な思索に耽ることになりました。
キリンさん:
500年先を考えることは、良い事だね、無風凧さん。時代の俯瞰だけではなく、僕みたいに、物理的に高い視点を持つことも、とても重要だよ。
今から500年前、、、1517年と言えば、日本は、戦国時代真っ只中です。室町幕府が事実上権力を亡くしてしまい、応仁の乱を経て、しかし、織田信長が生まれる未だ前。
同様に、世界を見てみると、コロンブスがアメリカ大陸を発見したのが1492年ですから、所謂「世界」の中にアメリカは入ってなくて、ヨーロッパ中心。そのヨーロッパも、今とは随分と様相が異なっていたようです。(図は、 世界の歴史マップ サイトからダウンロードしています。)
この時代は、イギリスはまだ島国で田舎。ハプスブルク家がヨーロッパ征服(?)を強く進めていた時代です。今でいうフランスもスペインもすべてハプスブルク家のものとなっていってました。
この時代に、、、500年後は、アメリカが中心になっている、って考えた人は皆無でしょう。ハプスブルク家は今も血筋は絶えて無いけれども、ヨーロッパの覇者、という地位とは程遠いと言えます。
同様に考えて、500年後の世の中はどのようになっているでしょうか?今の時代を生き抜くのに必死で、500年後のことなんで考えられない、という意見も判りますが、しかし、どのような世界にしたいか、そのために、今はどのようなことをしなければならないか、と考えて日々を過ごすことは、非常に有意義なことと思います。500年後、地球が無くなっていてはならない、と考えれば、米国と北朝鮮の核戦争は起こしてはならない、というように。このように考えれば、国際関係の中の解決は、おのずといくつかのVisionに集約されるのだと思います。アメリカファースト、都民ファースト、みたい「ローカルには耳障りの良い言葉」が、いつまで通用するのか、改めて問うてみたくなります。
500年後。世界はもっとGlobal化が進み、「地球連邦国」みたいなものが成立しているのでしょうか?それとも、細かな国が現在のように多数存在していて、シノギを削っているのでしょうか?みなさんは、どういう「500年後」を描きますか?そのために、今、何をしたいと思いますか?
前回(コチラ参照)の続き。
毎夕食、必ず魚料理を食べます(お昼も、お弁当の時に必ず食べます)。なので、週に一度の買い出しとストックで飽きが来ないように、、、味漬けて工夫します。大凡、ですが同じ料理は月に3回まで、、、です(お弁当に入れる焼き魚を除く)。
月に三回になるのは、シシャモ。シシャモのパックは、意外と大きくて、3回分です。これを一か月で食べます。元々干物ですから、日持ちは心配ないとはいうものの、いつも3回分に分けて食べています。
鯖のフィーレは、出番だけでいえばもっと多い。先回も書きましたが、、、復習代わりに(笑)。
これらが基本ですが、先日はトマトと軽く煮込んでシチュー風にしたり、大根・ジャガイモと一緒に味噌煮にしてみたり、その味噌煮のあまりを少し煮込んで、チーズをのせてオーブンで焼けば、鯖の味噌グラタンになります。ここ、重要で、、、どんな料理でも「チーズをのせてオーブンで焼いてみる」というのは工夫のキッカケになります。そうそう、カレー粉を掛けてみる、というも味変の工夫です、お忘れなく。
続いてマグロ。刺身は鰤が好きな無風凧なので、マグロの柵を買うことはあまりありません。マグロのアラ(血合や中落など)は、栄養価が高いこともあって、時々食卓に上ります。これも工夫のしがいがあります。
マグロは、少し大量に調理して、副菜や箸休め的な使い方をすることも。
鮭の切り身、特にハラス部分は無風凧の大好物。普通に塩焼き、が最も手抜きが出来て楽なのですが、バターでムニエルにするのも月に一度と言わず食べたくなります。甘塩鮭を買った場合は、焼くときにマヨネーズを薄く塗ってオーブンで焼くと、ちょっと風味が変わりますし、この上にイタリアンバジルをふると、いきなり「ご馳走」な感じがしてきます。30秒の手間で、まったく違う料理に見えます!
前回の記事も含めると、もう20種類くらいの味が紹介されています。鯛鍋、お刺身、煮魚、、、時々は赤魚の西京焼きやホッケの開きや丸干し、、、(ちょっと塩分多めがきになりますが)、、、、とすれば、あっという間に毎日違う料理を楽しむことができます。しかも! つくてみたら判りますが、すべて手抜き系です。20分以上かかるようなものは皆無!
お手軽に安く、そして色々な味を楽しむ。無風凧亭でディナーを食べたくなってきませんか?
フランスに住むカワウソ君:
日本のナガサキというところで、僕の親戚の映像が撮影されたらしい。まだ日本にも親戚がいたのかあ、、、、是非「獺祭」で旧交を温めたいものだが、、、、
写真出典 GATAG フリー写真・素材2.0 撮影Tambako the Jaguar様
今日のニュースによると、長崎県の五島でカワウソが発見されたのだそうです。と言っても、まだ今は映像に録られたことと、フンが見つかっただけですけど。
日本では数年前に絶滅宣言がなされています、、、ちょうどそのころから、日本酒の「獺祭」も有名になり、今では随分と高価なお酒になったようで、、、
今日は、久しぶりに神田明神参りをしました。
神田明神と言えば神馬のあかりちゃん?このブログにも何度か登場しています。
普段は、入ってすぐ左に柵が有り、その中に居るのですが、今日は、その柵も無い。あかりちゃんに何か有ったのかな?と心配になり、巫女さんにきいたところ、
あかりちゃんは、夏休みで千葉に行っています。
とのこと。あかりちゃんも夏休みがあるんだ、と、妙に楽しくなりました。
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北朝鮮と米国の「挑発合戦」が、いよいよホットになっています。北朝鮮は、Guamに向かってミサイルを発射する計画を発表し、米国は、それに対する報復を強くアピールしています。
あたかも、チキンレースの様相を呈してきました。お互いの挙げた拳を下ろすタイミング、がチキンレース、ということです。(この続きを読む前に、コチラ を先に読んでください。)
チキンレース、であるためには、ブレーキを踏む人、つまりこの場合は金正恩氏とトランプ氏ですが、が自分で環境を正しく理解できていることが前提になります。しかし、、、無風凧の得ている情報から見て、環境すべてを正しく理解することは難しい。つまり、政治家の限定合理性がどこかに介在します。分かりやすく言えば、「北朝鮮の方がアメリカよりも軍事力で優っている」という状態が正である、と金氏が把握したとすれば、この時点で、恐らく「双方の状況認識」にズレが生じていますから、チキンレースが成立しません。
加えて。
その場合(北朝鮮がアメリカよりも軍事力で優っている、と金氏が理解しているという状態)には、金氏が「トップを守る」というランキング人仮説(ランキング人仮説については、カテゴリー「ランキングについて考える」を読んでください)に基づいて「二位叩き」に奔走する可能性が出てきます。
ここまで読めば、無風凧が言わんとしていることがお分かりになるでしょうか。
今の「挑発合戦」を止めるのに一番必要なことは、報復措置や経済制裁ではありません。両陣営に「軍事力の実情」を正しく理解させることです。ゲーム理論的にいえば、完全情報ゲームにしてしまうこと。この方法は、「一番確実かつリスク少なく」戦争危機から脱却することができます。
かつて、、、、War Game(軍事演習、という意味ですね)という映画がありました。この映画は、コンピュータの暴走で核戦争の危機に陥りますが、コンピュータに「3ならべ」をさせることにより、完全情報ゲームなら引き分けになることを学習させ、戦争を回避します。
同様に、今の両国には、情報(ここでは軍事力)を正しく両陣営が把握することで、戦争回避できます。その為の手段は、、、CNNでアメリカの軍事力の誇示をすればよいだけだと思いますよ、トランプさん。
先日の話。
無風凧が切手を買いに行った郵便局での話。その日、郵便局内のコンピュータ・ネットワークの調子が悪かったのだそうで、切手一枚売ることが出来ない、とのことでした。
説明を聞くと、「コンピュータが止まったら、売上伝票が作れないから」、とのこと。つまり、売り上げ時のPOS情報をネットワークで管理するから、ネットワークが止まれば、販売できない、という主張です。もっとも、その説明もその場しのぎの言い訳のようで、本音は「コンピュータが止まったからどうしたらよいか分からない」というのが実態の様でした(あくまで私見です)。
郵便局ですから、切手も葉書もある。なのに、お客様に対してのサービスが出来ない、、、なぜなのか、無風凧としては不思議です。というのも、ほんの30年前までは、全て手書きで処理していたものです。売上伝票を作り、手書きで領収書を出せば、そして、ネットワークが正常になった際に改めて入力すれば、なにも問題なくお客様へのサービスは提供できます(ちなみに、郵便局には手書き用の領収書も準備がありますから、すべての道具はそろっています)。
なぜ、「コンピュータ(およびネットワーク)」にそれだけ依存しているのでしょうか?もし、依存するのであれば、「万一止まった場合に如何にサービスを続けるか」の方策をたてていないのか。
無風凧としては、まったく理解できない郵便局の施策と対応で、いまだに理解に苦しみます。Service Must Go On。サービスは止めてはならい、とおもいませんか?野田総務大臣、ご説明をお願いします。
と、ここまで書いて、気が付きました。郵政株式会社のCEOは、東芝を潰した西室泰三氏ですね、、、さもありなん。
まめしばくん:
一昨日ははなちゃん先生のトレーニング日だったのに、来なかったよなぁ。。。はなちゃん先生、お元気かなあ?
調味料、って何を指していますか?
上司と居酒屋に入った際、「何を頼んでも良いよ」と言われて「フライドポテト」を頼む。これが是か非か、そして、「いつまでも学生気分でいるんじゃない」と言った上司の言葉が良いのか悪いのか。
今、ネットでは意外と盛り上がっている話題の一つで、勝間和代氏や松本仁志氏らも色々意見を述べています(コチラ など参照)。今回は、「居酒屋ポテトフライ問題」を取り上げてみます。
まず。サンデル先生の「ハーバード白熱教室」で扱う一つの「ケーススタディ」のように扱ってほしいと思います。ネットでも色々な意見が出ているように、白黒つけるには、「情報が少なすぎます」。上述の勝間さんの記事は、「こんな会社は潰れます」と煽情的に書いていますが、それも「彼女なりの一つの意見」であって、「絶対の真理ではない」ことを、きちんと理解して、居酒屋フライドポテト問題に接してほしいと思うのです。
その上で。無風凧としての、「経験的真理」を一つご紹介。これは、大企業の中間管理職や大学教員時代を含め、似たような場合はそれこそ1000回近く経験していますが、その中での「経験則」。
無風凧もよく「何を頼んでもいいよ、好きなものをどうぞ」と言います。その反応は様々ですが、、、
ことが出来る部下、もしくは学生は、押しなべて優秀です。結果をきちんと出してきます。
要らぬ遠慮をする学生は、大体、就活もままならない、、、というのが多かったし、部下はなかなか自立できない輩ばかりでした。また、さも好きそうに「これお願いします!」と即答で注文しても、本当は遠慮をしている、という場合もあると思いますが、それは、その後の結果が出ない、ということで、後日「ああ、遠慮しいなんだなあ、、、」と判明します。
中間管理職の皆さん、こういう視点で部下を見てみては如何ですか?
無風凧邸の夕飯は、必ず「肉料理」「魚料理」を含む一汁三菜か四菜。買い出しは凡そ週に一回ですから、肉も野菜も「冷凍」に頼ることになります。
前回はスープ事情でしたので、今回は「魚」の工夫を書いてみたいと思います。
冷凍庫に殆どいつもあるのは。
これらは、帰宅後に全部「一回分」づつビニール袋に小分けして、冷凍します。食べるときは、朝、冷凍庫から冷蔵庫のほうに移しておけば、夕飯の時には丁度解けています。
これらに加えて、買い出しに行った日は
などが増えます。刺身は出来るだけ当日中に食べてしまい、残った場合は醤油漬けにして、翌日は焼いて食べる。マグロのアラは、ジャガイモや大根と一緒に煮物にしてしてしまいます。
さて。
これだけの食材で飽きが来ないか?と心配される方もいらっしゃると思いますが、、、例えば、ブリの切り身は、塩焼き、イタリアンソテー、ぶり大根、てりやき風、などレパートリーありますし、鯖のフィーレは、そのまま塩焼きで食べることもありますが、カレー粉を振りかけるだけで、食欲そそる一品に変身。トマト、タマネギ、茄子などで簡易シチューにしても洋風で美味しいですし、身を補議して、オイルサージンのような使い方をして、キャベツと炒めると、ペペロンチーノの具みたいになって、絶品。要は、工夫次第。
と言ったところで、次回はその「工夫」の部分を少し掘り下げて書いてみたいと思います。
台風5号が日本列島を縦断しました。被災された方へお見舞い申し上げます。
東京地方は、幸い、風雨の被害は無く、その点は助かりました。しかし、南からの熱い空気のお陰で、この時間でも、まだ熱い!
不謹慎ながら、台風がいま、雨を降らせて暮れれば助かるなあ、、、と思う無風凧です。
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親パンダ:
お前ももう子供じゃないんだから、物事「白黒はっきりさせる」ことを覚えなくてはならないぞ。
子パンダ:
ぼく、もう体に染み込んじゃったよ!
写真出典 GATAG フリー写真画像集 撮影 victoria white2010様
現実社会では、「灰色の決着」ということが多い。パンダの斑点のように、白黒はっきりさせる、ことはとても重要です。
本日、某K大病院での実話(分かりやすくするために若干のデフォルメがあります)。
無風凧:先日の薬の副作用について教えてください。
医者: それは、私が投薬したものではないから判りません。
無風凧: 貴方は主治医ではないのですか?
医者: 私は上司の医師に「主治医」と言われて無風凧さんの担当をしていますが、投薬したのは私ではないから、責任はありません。
これ、おかしくないですか?主治医=治療に対して責任を持つ人、だと思うのです。薬の副作用は、前回にも「問合せ」をした内容。その質問の答えが「私は投薬した人間ではない」という回答。分からないのなら、「投薬した医師」に確認をとるか、その医師を呼んできてが直接説明をするのが「主治医」の「責務」だと思います。この考え方、何か無理がありますか?
質疑がもともとかみ合っていませんが、その医師(主治医と言われた医師)の責任逃れ体質(灰色決着体質)が見て取れます。
現実社会に置いて、全て、数学のようにはっきりするとは思っていません。しかし、せめて「少しでもはっきりする」社会になるように、無風凧は活動していきます。
今日は8/6.今から72年前の1945年、広島に原子爆弾が投下された日です。広島を始めとして、各地で平和のための式典が行われています。
丁度一か月前の7月7日、ニューヨークの国連本部で、核兵器禁止条約が採択されました。ただし、この採択における投票に、日本は参加していません。唯一の被爆国である日本の参加が無かったことに、世界中からの「残念だ」との声が上がっています。
今回の条約の前文には、ローマ字で「Hibakusha」という単語が載っているそうです。柔道がJudoになったように、日本語が世界の共通語になったわけですから、その日本が「核兵器禁止条約」を批准しなかったことは、世界の驚きででしょう。
現時点の短期戦略と考えれば。
日本の、日本国民の「安全・平和」を守るための「一つの手段」として、核保有国と同調し、その庇護のもとに国を営む、という選択肢自体は否定しません。
しかし、唯一の被爆国である日本は、その経験を元に「非核三原則」を表明し、そして、それを国是としています。国是は、法律ではありませんが、それ以上の行動原理だと言えます。そのような経緯を尊重し、条約批准の是非を越えて核兵器禁止のイニシアティブをとっていかなくてはならない、と考えます。
今日のランチミーティング。大学の大先輩からワインを渡され、断ることが出来ずに白赤一杯づつ呑んでしまいました。
かつては、「赤ワインをおつまみにして白ワイン、白ワインをおつまみにして赤ワイン」「一晩に3人で5本」という呑み方をしていた無風凧ですが(コチラ 参照)、お酒から引退して早7年。久しぶりに、呑むとかなり効きました。
2杯のワインを約3時間かけて何とか呑み切り、打合せも成功裡に終わりました。、、、解散後、ドトールで1時間ほど酔い覚まし。、、、帰宅しても、力が入らず、やっと今、復活です。
太平の眠りを覚ます蒸気船たったに四杯で夜も眠れず、は幕末の狂歌。これを本歌取して、「無風凧を良い顔(酔い顔)に誘う葡萄酒(ぶどうさけ)たった二杯で夜まで起きれず」。
写真出典 写真素材足成 撮影Lizhi様
ペンギンさん、気持ちよさそうですね、、、、日中は暑い日が続いていますが、朝はめっきり涼しい日が続いています。朝のお散歩、気持ち良いですよ\\(^.^)//
夕食の用意をしながらTVをつけていると、ニュースキャスターが、
ダイサンジ改造安倍内閣が組閣されました
と、報道していました。無風凧は、、、大惨事安倍内閣、どうやって立て直すのだろう?と思いながら夕食の用意を続けました、、、
上記は半分冗談ですが、「第三次」が「大惨事」に聞こえるというのは、本当の話。日本の国を良くするため、是非是非頑張ってもらいたいものです。
ところで。 先の国会は、モリ・カケ問題や稲田問題などが山積で、普段以上に「空転」していた感が否めません。それに加えて、改造内閣の組閣。日本の政治は「長らく停滞していて、何も前に進んでいない」と感じる方も多いのではないでしょうか?無風凧も、「組閣する時間があったら、一つでも課題の解決をしてほしい」と思っています。
そもそも、、、国家議員の仕事って、何んでしょうね?「予算委員会で、稲田元防衛大臣の発言問題」を質疑していたりするのを聞くたびに不思議に思います。だって、予算を決めるために必要な議論ではないと思うから。
組閣も同様で、都度入れ替えで対応する方が、乗り換えコストが低い=本来の国会議員の仕事により沢山の時間が割ける、わけですから、改造組閣は、そもそも時間の無駄、なように感じます。
とはいえ、新しい内閣が決まりました。決まったからには、是非是非成果を出してほしいと熱望します。
日本列島を横断した台風5号。被害を受けられた方にお見舞い申し上げます。
東京地方は、風雨の被害は無く、その点は助かりました、、、が。台風が連れてきた南からの熱い空気のお陰で、無茶苦茶熱い!いま、このブログを書きながらも、汗が滴り落ちてます(無風凧邸では、エアコンは極力使わない事にしています)。
不謹慎とは思いながらも、台風はどこに行ったんだろう?今、雨が降ってくれれば、凄く助かるなあ、、、と思う無風凧です。
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先日。お弁当に、いなり寿司作りました。暑い夏、酢飯は腐りにくいし、忙しい最中でも、片手で食べることが出来ます。
ご飯を硬めに炊いて、キツネを煮て冷やして、すし酢を作り、、、ここで、大変なことに気が付きました。今、無風凧の家には寿司桶が無いのです!
寿司酢を掛けて粗熱を取って、、、と言うプロセスには、寿司桶が必須です。ステンレスのボールでは飯がベチャベチャになってしまいます。
熟考すること0.3秒。体は自然に動いてまな板を熱湯消毒。そして、布巾で乾燥。そう、まな板を寿司桶代わりに使いました。
丁度良い量だったことも有り、まな板を寿司桶代わりに使うことは大成功。無事に10個のいなり寿司と、海苔巻きを作り上げることが出来ました。
味はどうだったのか、だって?いうまでもなく、「まいうー」でした。
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