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「ボブ・ディラン歌詞問題」の本質

京都大学のHomepageに「総長の入学式式辞」が載っています。この中に「ボブ・ディラン」の歌詞が引用されており、「JASRACから使用請求があった」として、色々な報道がなされています(コチラ、など参照)。

この出来事に対して、脳科学者 茂木健一郎氏がTwitterで発言した記事がLivedoor Newsで取り扱われたりして(コチラ 参照)、JASRACに対する批判がホットな状態になっています。

この問題、何が本質なのでしょうか?

JASRACがアクドイ商売をしていることが問題? 、、、、NO.

では、ヒントとして BuzfeedJapan京都大学新聞 をご覧ください。

この二つを見比べると、「事実」が異なっていることが判りますか? 少なくとも、京都大学側とJASRAC側で「認識している事実」がことなっていることが判ります。その認識事実の違い、が問題の1つめ。そして、2つの事実にもかかわらず「片方の事実が拡散された」ことが問題の2つ目です。

「JASRACから問合せがあった」(BuzFeedJapanによる)のは事実のようです。この時に対応した京都大学広報課の人は、「これは、請求されるに違いない」と思い込みます。これは、無風凧も理解はできます。実際に請求されたわけではなくても、気分の中では「請求された」と思う。それに、「適正な許諾を得てください」と、書類の提出を指示されれば、「その先は課金される」と想像してしまうこともあるでしょう。このような思いこみは、例えば「忖度」と「指示」の区分が難しいように、誰しも起こることです。

このように、おなじ電話に対して、「伝えたかったこと」と「伝わったこと」が異なることが問題の一つ目です。

この2つの事実の内で、人に興味を持ってもらえる形で書くと、「Jasracが京大に課金」という言葉でしょうか。

「京大総長の祝辞に引用されたものに対し、課金請求することは、アクドイ」という常識、言い換えれば、世間様の意見が成立することは想像に難くありません。その意味においても、「JASRAC悪玉節」が独り歩きしやすいメッセージであることがわかります。

それに加えて。そのように読まれるように、文章構成もなっています。書き方の問題、かもしれませんが、「JASRAC悪玉説」として伝わりやすい記事になっています。これが二つ目の問題です。

そして、この「2つめの課題」を越えたうえで、「JASRAC悪玉説」のみがTwitterなどで拡散していく、つまり「噂・世論の形成」というステップになっていきます。

茂木さんが上記記事中でいうように、FareUseの考え方を導入するとか、先日無風凧が書いたように「著作権法自体が時代遅れ」であること間違いありません。でも、今回の京大のボブ・ディラン歌詞問題は、事実認識と文章の書き方に大きな課題があったと言えます。その意味では、JASRACは被害者なのかもしれません。

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