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豊洲問題と政治

石原元都知事が発言して、倍旧の混乱を招いている(ように見える)豊洲問題。

軽々には申し上げられませんが、責任を全て石原氏に押し付けるのは、少し無理があるのではないか、と思います。勿論、まったく無いといういうことは思いませんし、報道内容が事実だとすれば、「黒」と思う部分もありますが、現在の「議会政治」と「合議制」という政治システムの限界ではないか、と考えられるものもあります。

今回は、議会政治と合議制の限界について、少し書いてみたいと思います。

「Case1」 
A氏が首長時代に開始された議決された事業aが、次のB氏時代に契約、そして実行。その後、事業aに不備が見つかった。この時に、B氏に責任はあるのか?

ここでB氏に責任があると考える場合。首長が変わるたびに、首長は前首長の業務全てを一から見直して内容を精査する必要があります。この精査に要する時間が「任期」以上だとすると、、、いつまでたっても事業aは開始できません。

「Case2」
A氏が首長時代に、案件aには反対だったが、合議の結果aが採択(民主的に)。首長として署名捺印。しかし、その後、事業aに不備が見つかった。この時にA氏に全責任があるのか?

ここでA氏に責任があると考える場合。例えば、議会がA氏を陥れるために、案件aに不備を入れ込んで置き、民主的にA氏の責任問題にすることができます。

「Case3」
技術的な課題に対し、そもそも専門家の意見が割れてしまい、a案b案の二案で、多数決の結果同数。A氏は首長としてa案実行に署名捺印しましたが、その後、案aに不備が見つかりました。この時にA氏に全責任があるのか?

これは、そもそも技術的に結論が出ないものです。勿論、A氏はこの案件の技術的専門家ではありません。多数決という決定手法の中で、Casting Voteを握っただけです。ここで全責任があるというなら、首長は全能の神でなくてはなりません、、、
皆様、如何お考えになりますか?
決して、石原氏を擁護するつもりではありません。しかし、現代の政治システムの限界の点もあるな、と考えています。

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