音大の教員になると (好きな音楽2015年2月)
無風凧の友人である音楽家(特に演奏家)の中には、音大で教鞭をとっている方も少なからずいます。音大教授として知り合った方もいますが、大半は途中で音大の職を得ています。
このようなことを書くと、非難が集まるかもしれませんが、、、大学の先生になると、「教える立場」で音楽と接するようになるようで、演奏にもそれが現れるように思います。大概の場合、こじんまりとまとまってしまう。冒険が少なくなるというか、独自色が弱くなるというか、、、無風凧にとってはとっても残念です。
以前、「褒め言葉としての世界の二流」という記事を書きました(コチラ 参照)。音楽に対して、真摯に付き合い切磋琢磨する、という演奏家が無風凧は好きです。誰かのまねをしてたり、無難にこなしていたり、という演奏は好きではありません。
なぜ変わるか、理由はわかりません。演奏家の中の「軸(価値観)」が変わってしまうのでしょうか。お手本になるような演奏を心がける、という意味で。それとも、職を得たことで「ハングリー精神」が弱くなってしまう?もしくは、、、単に歳をとって輝きが減る?
いずれにしても。「より高い芸術性」を目指す演奏家の皆さん、音大の教員というポジションには十分お気を付けください。
# 蛇足: もちろん、教員として一流になっていく(名伯楽になる)という音楽家も大切ですし、そのような方も多数存じ上げていて、尊敬しています。
最近のコメント