内と外(その3)
内と外について、もう少し考えてみましょう。今回も、皆さんは「企業の経営者=社長」です。
前回、、、身内になるときもあるし、ならないこともある、という人たちがいる事を認識しました。集合論的にいうなら、集合Aとその補集合¬Aとして、AがA=A(t)という形であらわされる(時間依存がある)、、、そういう集合論の存在自体、無風凧は知らないのですけど、、、ということいなります。もう少し書けば、、、集合論的には、A=¬¬A なのですが、A(t2)≠¬¬A(t1)となる訳です。¬を作用させる時間依存、と定義する方がシンプル化もしれませんね。
実際の経営に際しては(正確にいえば、人が生きていくうえでのすべての場合において)、この「内と外」の判断に迷うことがとて多く、それは、判断の遅れに繋がるのみならず、「外から見た場合の不公平感」の温床となります。即ち、内と外の判断は、不変かつ即断が望ましいと考えているわけです。 無風凧流経営では、この解決のために、3つの考え方を導入します。それは、
- どんな場合でも絶対に身内だと言い切れる身内を、身内と考えて、死守する。(最少集合の設定)
- この場合には、ここまでが身内だ、ということを常に明文化(若しくは可視化)しておく。(時間依存性の設定もしくは曖昧性排除の設定)
- そもそも、内と外 自体を1軸で定義することをやめる。(多軸の設定)
最少集合の設定と明文化、は分かりやすいと思いますが、3つめは少し説明が必要だと思います。次回、説明を試みます。
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