ニュートンと夏目漱石
最近、青空文庫付いている無風凧。先週、寺田寅彦を読んでいたのだけど(コチラ参照)、昨日から興味が夏目漱石に移って居ます。何故夏目漱石に移ったのかって?それは、漱石が寺田寅彦の師匠だからです。
皆様もご存知の通り漱石には沢山の作品が有ります。一番有名なのは「吾輩は猫である」でしょうか?人気が高いのは「こころ」だと聞いたことが有ります。両作品とも無風凧も大好きな作品です。でも、「一番好きな漱石作品は?」と訊かれると、無風凧は「夢十夜」と答えるのでは無いかと思います。「こんな夢を見た」で始まるあの短編集です。青空文庫では、コチラ。今回も真っ先に「夢十夜」読みました。ただし、寺田寅彦からの流れで読んで居るので、随分と「物理学的に(若しくは哲学的に)」読んでいるようです。
第六夜。運慶が明治時代に仏像を彫っている夢。これを読みながら、頭の中で「ニュートンと似ているな」と感じました。ニュートンは「私は、科学の大海の前の砂浜を歩き、綺麗な貝殻(物理法則)を見つけて喜んでいる子供のようなものだ(無風凧の記憶によるので、細かな表現は違うかもしれません)」と言ってますが、これと、「仏像は木の中に居るのを掘り出している」「でも運慶以外が掘り出すことができない」と言う第六夜のストーリーが重なって見えます。美しい貝殻(例えば万有引力の法則)を見つけることができたのがニュートンであったように、仏像を彫り出すのは運慶にしかできない。
ニュートンは物理学、すなわち論理の世界の巨人。そして、漱石は言うまでもなく偉大なる文豪で、感性の世界の人。論理と感性と言う対極の位置にいるこの二人の思考が(嗜好かも?)がとても近いことに、驚きませんか?無風凧は、ちょっとどころか多いに驚いていると同時に「その類似性を彫りだせた」ことを一人喜んでいます。
さて。夢十夜を読みながら考えたことはもう少し続き、ここで、再度寺田寅彦が登場するのですが、それはまた、日を改めて。
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