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数学と語学

一昨日(一昨日)の続き。

「思うにこれは普通の言語の発達がいまだ幼稚なせいかもしれない。」

この文章は、寺田寅彦の「数学と語学」の一説です(青空文庫は コチラ 参照)。前後を説明しないと、わかりませんね。寺田寅彦は「数学も一種の語学である(つまり、何かを表現し伝える手段である)」という前提のもとに、数学という言語の方が、語学よりは進化しているので、思考の道筋を続けうる、と著述しています。その上で上記を読んでみたらわかりやすくなるでしょう。

一般的に考えれば、語学の方が記述できる範囲が広く、数学はある一面を切り取ることしかできないから、語学の方が発達していると考えるのでないでしょうか?しかし、寺田寅彦は違います。

「。。。人間の思考の運びを数学の計算の運びのように間違いなくしうるようにできるものかどうかはわかりかねる。しかし、少なくともそれに近づくようにわれわれの言語、というかあるいはむしろ思考の方式を発育させる事はできるかもしれない。。。。」

間違いなく思考し、記述することができることこそ重要である、と言っています。(これが「良いことか悪いことか」の価値判断は横に置いて、ですけど。)

このように考えると、数学と語学は、数学の方が発達していて優れている、と言っているようにも見えます。確かにある意味では正しいと思います。というのも、物理学者としての無風凧は「物理現象は数字で表わせてこそ」という理解をしています。

でも。哲学者無風凧は、尚、考えます。数学も、記述するためには文字を使っています。文字で何でも伝えることができるのか。間違えなく思考し伝えることができるのか?

教外別伝に「以心伝心不立文字」という八文字熟語があります。無風凧の好きな言葉です(コチラ 参照)。文字ではすべてを表すことができない、というお釈迦様の言葉です。このように思考を重ねてくると、語学よりも数学よりも心で伝えるものが大切なのである、と結論できます。。。。

ちょっと取り留めなくなりましたが、夏目漱石の「夢十夜」を読みながら、こんなことを考えていました。

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