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2014年11月

睡眠と音楽(好きな音楽2014年11月)

ゴールドベルク変奏曲。

正式には「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏(Clavier Ubung bestehend in einer ARIA mit verschiedenen Veraenderungen vors Clavicimbal mit 2 Manualen)」という長ったらしい名前の曲ですが、「眠れぬ夜のための(不眠症解消のための)アリア変奏曲」という逸話が残っていることでも有名です。

ゴールドベルク変奏曲でなくても、「子守唄」は洋の東西を問わず沢山存在します。なので、一般的に音楽は睡眠誘導の機能がある、と言えるでしょう。

でも。無風凧の場合、ゴールドベルク変奏曲を聴きながら寝ることは100%できません。いえいえ、眠るどころか、目が冴えてしまいます。フォーレのドリーも、シューマンのトロイメライも、聴くと目が覚めます。無風凧にとって、音楽は睡眠導入剤の役は担ってくれないようです。

皆さまはいかがですか?

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翻訳の練習。

20141129左ニホンザル:
内緒の話なんだけどさあ、実は
○○○○○○○○○○○○

右ニホンザル:
え?そいつは大変だな。

写真出典 Creative Commons 撮影 jinterwas
皆様、上記の○○○○、、、に当てはまる言葉を入れてみてください。翻訳の練習です。

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学問に王道なし(Teaching vs Coaching その2)

一昨日の続き(コチラ 参照)。

企業のコンサル現場では、Teachingの手法はとれません。コンサルでなく研修でも、なかなかTeachingは受け入れられない場合が多い。 というのも、企業側の立場で言えば「お金払っているんだから、わかるように教えて当然」と考えている場合が多いから。 そのようなマインドで聞いている人が多い場合、Teachingすると、如実に嫌な顔をされます。だから、ついついCoaningを使うことになります。

ところが、今までにまったく基礎知識のない場合、Coachingは百害あって一利なし、というのは、前回も申し上げたこと。 なんとなく、雑談レベル「わかった気」にさせるのが精一杯で、「本当の理解」まで到達させることはできません。 Teachingした方が、はるかに効率的に受講者の理解度を挙げることができます。

昔の人は、「学問に王道なし」とはよく言ったなあ、、、と思います。

さて。 ここからは、無風凧の偏見が入っているかもしれませんが、、、Teachingを拒否する方ほど、 自分の喋りが「高圧的」になっていることに気が付かない方が多いようです。つまり、、、Teachingされることを拒否する人はTeachingすること好き。 うなづかれる方、多いのでは?

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さあ、お仕事。

20141127柴わんこのはなちゃん:
さて、今日の現場はどちら?

写真出典 匿名希望様ご投稿
はなちゃんの写真が送られてきました。どうもありがとうございます。前回、「はなちゃんはタオルが好き」と書いたのですが(コチラ 参照)、今回もタオルとご一緒。タオルを首に巻いている姿、鯔背で凛々しいですよ。

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Teaching と Coaching

大学での講義やゼミは言うに及ばず、企業コンサルや、企業研修など。

自分は実際は、「指導的立場」であって実行部隊ではないことがよくあります。その場合に、相手にどのように「伝えるのか」は非常に難しい問題です。ほとんどの場合は、「ティーチング」と「コーチング」の使い分けになります。ティーチング(Teaching)は、完全に教えることであり、コーチング(Coaching)は「気づかせること」だというように、大まかに分けておきましょう。

最近の経営論や教育論では、コーチング至上主義っぽくなっています。曰く「強制されたものは身に付かない」。

でも、本当でしょうか?無風凧は大いに疑問です。ちょっと思い出してみてください。漢字の書き取り、掛け算九九、英単語、から始まって、基礎学力に相当するものは、結構「強制的に覚えこまされた」ものが多くないですか?英語が好きで、自分から小説なんか読んで英単語も覚えていった方も、最初の頃は、単語の書き取り試験で苦労したこととかあるのではないでしょうか?苦労が多かったか少なかったかは、人によって違うかもしれませんが、少なくとも「強いられた」部分があるはず。この「強いられた部分」は、Teaching です。

Coachingは、「興味を持って、自分から答えを生み出す能力を有している場合」には有効だと思いますが、「答えを生み出す能力がない」場合には、有効ではないでしょう。それどころか、有害と言えるかもしれません。というのも、「指導者の考える正解を見つけることができないどころか、何を考えたらよいかわからない状態」で放っておかれるのと同じですから。

いうなれば、、、フィギュアスケートの「規定」はTeaching、「フリー」はCoachingという感じです。

何事にも基礎は必要。この基礎部分は、「Teaching」によってしか教育できない、と信じている無風凧です。だから、教育現場に限らず企業コンサルでも、「上から目線で Teaching」してしまうことがあります。結局、それがその企業や学生にとって最良の道だと思うからです。

教育現場では、、、大学の講義やゼミでは、、、一定以上の成果を上げていると自負しています。でも、コンサルの現場はそうは簡単には進まない。その話はまた日を改めて。

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ヘビィ級?

20141125マムシ君:
今日は、ビリー先生の代講で僕がトレーニングに来たんだけど、最近無風凧さんって、ヘビィ級なんだって?

写真出典 動物の恋人
そうなんです、、、(コチラ 参照)。歯の治療で痛み止めを飲んでいたのですが、これの副作用が眠気と体重増。薬をとめてもう一か月近くなるので、なんとか 原点復帰 はできそうです。この3か月で3増3減(爆笑)。
「ビリー先生」は、無風凧のダイエットインストラクターです。普段は「動物の恋人」の看板獣。今回は、同じ「動物の恋人」から、助っ人でマムシ君が来てくださりました。

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古本屋巡りの楽しみ

最近、青空文庫付いている無風凧(コチラ 参照)。読書量も必然的に増えています。

なぜ、青空文庫?と言われると、、、やはり「無料」、そして「買いに行かなくても読める」という手軽さ、加えて片手でページめくりができるという便利さでしょうか。安く本が手に入る、という意味ではBook Offにもよく出没するのですが、最近は随分回数が減っているように思っています。

このように青空文庫付いている無風凧ですが、今回は、やっぱり神保町の古本屋巡りは楽しい、って話です。

昨日。久しぶりに神田神保町の古本街を2時間ほど歩きました。こんなにゆっくり回ったのはいつ以来振りだろう?というくらい、ゆっくり回って、古本屋巡りを堪能しました。電子書籍ともBookOffとも違う、楽しさがありました。何が違うんでしょうね。古瀬戸(ちょっと有名なコーヒーギャラリー)で戦利品を片手にランチを摂りながら考えました。

本屋に「並んでいて、手に取って眺めることができる」のは、電子書籍ではできない楽しみです。この楽しみは、辞書で単語を調べているときに、ついつい「違う単語」が目に留まってそちらを読んでいるうちに違う単語が気になって調べたりして、なかなか「元の単語」に戻れないけど、やっぱり楽しい、というような楽しみと同根のような気がします。

でも、それだけではないでしょう。神田の古本屋って、あまり多きな古本屋は存在していない。各々、特色を出しながら結構ニッチな品ぞろえのお店が多い。だから、お店に入った瞬間から「興味のある本率」が高いんです。これは、Book Offではまねできない。

それに、自分の興味のある分野って、知っている本が多かったりして、「懐かしさ」を感じることが多い。それも、「自分の時代に戻って」というのが重要。この点は新本の本屋では無理な相談。いくら自分が読んだことのある本でも、装丁が変わっていたりして、「見た目」が違うと、なんとなく「よそよそしさ」を感じるものです。自分が読んだものと「同じ」版の本を見つけると、ついつい手に取ってみています。その上で、「昔読もうと思っていたけど読まなかった本」など手にした日には、、、「積読」になることはわかっていても、財布の紐が緩くなります。

それだけではなくて。自分が知らなかった本が「ひょっこり」顔を出してきます。昨日は、W.ギーゼキングの「ピアノとともに(白水社、1968年)」なんていう本を見つけてしまいました。ギーゼキングは、無風凧が大好きなピアニストの一人。でも、こんな本を出していたなんて、知りませんでした。即購入、150円。今、Amazonで調べたら、2006年に再版されているのを発見しましたが(3024円)、無風凧は1968年の書籍で大満足。

こんな出会いがあるので、古本屋巡りはやめられそうにありません。今度はいつ行けるかなあ、、、

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2匹でエントリー

20141123右(飛鳥丸):
大和にいちゃん、毎月犬がなかなか決まらないのは、無風凧さんが「二匹わんこのエントリー」を待っているからではないのかな?僕たちは2匹で応募しようよ。

左(大和):
いやいや、過去にも二匹エントリーはあるようだ(コチラ 参照)。でも、僕たちほど仲の良い兄弟犬はいないだろうな。

写真出典 秋田犬「大和と飛鳥丸の日々」II
本当に仲好さそうな二匹ですね。
「毎月犬」は、このブログが創設された2008年4月23日に登場してくれた二匹(カテゴリー 毎月犬 参照。)。以来、毎月23日に登場してくれたのですが、一昨年から二代目を募集中です!

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ロシアの風VI(川﨑智子ピアノリサイタル)

20141122今日は、演奏会の紹介です。

以前にもご紹介した(コチラ参照) 川﨑智子 さんのピアノリサイタル。今回は、お得意のロシア物です。今から楽しみ、ですネ。

川﨑智子 ピアノリサイタル
「ロシアの風VI」

日時: 12月3日午後7時開演
場所: 銀座王子ホール
料金: 大人4000円 学生2000円(全席自由)
曲目:ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ 第6番 イ長調 Op.82
問い合わせ: コンセール・プルミエ 042-662-6203

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万歳?

本日、衆議院が解散しました。2年ぶりに選挙、ですね。

さて。衆議院解散時に「万歳!」と叫びます。これって、、、なんとなく不思議な感じがしませんか?被選挙人として、任期を全うできなかっただけでも「謝意」を表することはあっても、決して「万歳」と喜ぶようなことではないように思うのです。早速調べてみました。

「万歳三唱の由来は天皇の国事行為に対する万歳説や前祝説等諸説あり定かではないが帝国議会からの慣例として続く慣習である」(Wikiの「衆議院解散」より)。

なるほど、、、理由はよくわからない慣習、なようです。明治時代、天皇の国事行為に対して「万歳」と叫ぶのはわかるような気がします。というのも、「万歳」という言葉自身、皇帝に対する賛辞の言葉だから。でも、前祝説などは、やはり解せないものがあります。

さて今回の解散。次の特別国会で何名の方が再度「万歳」と言えるでしょうか?楽しみです。

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元気にしてたかい?

幸運の仔豚くん:
無風凧さん、お久しぶりだねえ、、、元気にしてたかい?逢えてうれしいよ。



写真出典 自前のiPad2
八重洲地下。最近、行く回数が減ってはいるというものの、無風凧の「庭」です。その「庭」に放牧(?)して居るのが「幸運の仔豚」。今までに、このブログにも何度か登場してくれて居るので、ご存知の方も多いのでは無いか、と思います。

昨日、久し振りに、、、幸運の仔豚像に会いました。最近、目の前を通っていても、何故気が付かなかったのでしょう? すっごく久し振りに仔豚君と会話することが出来ました。彼は、相変わらずピカピカの鼻の頭、してました。仔豚像に遭遇した効果は直ぐに表れました。その証拠は、「素晴らしい演奏会(昨日の和楽堂)に出会えたこと」(昨日のブログ、参照)。ご利益的面の仔豚くんに会えて、無風凧も嬉しいです。

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和楽堂、impression

11月は演奏会続きの無風凧。
今日は先日ご紹介した「和楽堂」1stコンサートでした(まずはコチラ参照)。最近邦楽の演奏を続けざまに聴いていますが、今日の演奏会は、そのベストに位置する、と言っても、、、いやいや、それはちょっと褒めすぎかもしれません。でも、それ位に素晴らしい演奏会でした。

演奏会を行うには、まず「選曲」が必要です。今日の演奏会成功は、第一に選曲の勝利、だと言えます。現代邦楽作品だけの演奏会。現代邦楽の場合、どうかすると邦楽器を色物的に使ったり、そもそも「奇を衒った」ような作品が多いのですが、今回の選曲は、いずれも「しっかりした」作品。MCで「筝と十七絃だけでも、こんなに良い曲が沢山あるんだということを伝えたい」と言っていたとおり、素晴しい選曲でした。無風凧が「唯一存じ上げなかった長谷川恭一」さんの「雪に寄す」も名曲中の名曲と言って過言じゃ無いでしょう。

次は、ホール選びの勝利。リハーサル時には少し響きすぎの感じが有りましたが、お客が入って丁度良い感じ。無理に大きな音を出す必要がなく、マイクも不要。その上で、残響が大きすぎない。現時点での和楽堂にとって、最高のホールだったのだと思います。サンハート音楽ホールは初めてでしたが、正直これも驚きでした。

でも。演奏会成功の最大の要因は、アンサンブルでは無いでしょうか。撥弦楽器である筝は、少し甘めのチューニングでも、そしてタイミングが若干ずれても目立たない、と言えます。実際、筝の合奏で、チューニング出来てないなあ、と思うことはよくあります。その上、楽器の特性上、音の大きさ(バランス)は、他の楽器に比べて「楽器の性能に依存する」部分が大きいように感じています。言い換えれば、バランスのコントロールが難しいのですが、、、随分とアンサンブル出来て居る団体だな、と思いました。ご一緒した方が「箏って、オルゴールのような音がするのねえ」と言っていたことでも、アンサンブルが良かったことがお分かりいただけるかと思います。

というわけで、今はとても良い心持ちで帰宅途上です。

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数学と語学

一昨日(一昨日)の続き。

「思うにこれは普通の言語の発達がいまだ幼稚なせいかもしれない。」

この文章は、寺田寅彦の「数学と語学」の一説です(青空文庫は コチラ 参照)。前後を説明しないと、わかりませんね。寺田寅彦は「数学も一種の語学である(つまり、何かを表現し伝える手段である)」という前提のもとに、数学という言語の方が、語学よりは進化しているので、思考の道筋を続けうる、と著述しています。その上で上記を読んでみたらわかりやすくなるでしょう。

一般的に考えれば、語学の方が記述できる範囲が広く、数学はある一面を切り取ることしかできないから、語学の方が発達していると考えるのでないでしょうか?しかし、寺田寅彦は違います。

「。。。人間の思考の運びを数学の計算の運びのように間違いなくしうるようにできるものかどうかはわかりかねる。しかし、少なくともそれに近づくようにわれわれの言語、というかあるいはむしろ思考の方式を発育させる事はできるかもしれない。。。。」

間違いなく思考し、記述することができることこそ重要である、と言っています。(これが「良いことか悪いことか」の価値判断は横に置いて、ですけど。)

このように考えると、数学と語学は、数学の方が発達していて優れている、と言っているようにも見えます。確かにある意味では正しいと思います。というのも、物理学者としての無風凧は「物理現象は数字で表わせてこそ」という理解をしています。

でも。哲学者無風凧は、尚、考えます。数学も、記述するためには文字を使っています。文字で何でも伝えることができるのか。間違えなく思考し伝えることができるのか?

教外別伝に「以心伝心不立文字」という八文字熟語があります。無風凧の好きな言葉です(コチラ 参照)。文字ではすべてを表すことができない、というお釈迦様の言葉です。このように思考を重ねてくると、語学よりも数学よりも心で伝えるものが大切なのである、と結論できます。。。。

ちょっと取り留めなくなりましたが、夏目漱石の「夢十夜」を読みながら、こんなことを考えていました。

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セレクション

ヒツジさん達:
来年は、ひつじ年だ。誰が歳神になるか、そろそろセレクションが始まるぞ。
20141116
写真出典 ゆんフリー写真素材
気が付いたら、11月も半ばをすぎ、、、年末の足音が聞こえてきました。年末の足音?いやいや、来年にむけて羊さんたちが始動した音なのかもしれません。

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ニュートンと夏目漱石

最近、青空文庫付いている無風凧。先週、寺田寅彦を読んでいたのだけど(コチラ参照)、昨日から興味が夏目漱石に移って居ます。何故夏目漱石に移ったのかって?それは、漱石が寺田寅彦の師匠だからです。

皆様もご存知の通り漱石には沢山の作品が有ります。一番有名なのは「吾輩は猫である」でしょうか?人気が高いのは「こころ」だと聞いたことが有ります。両作品とも無風凧も大好きな作品です。でも、「一番好きな漱石作品は?」と訊かれると、無風凧は「夢十夜」と答えるのでは無いかと思います。「こんな夢を見た」で始まるあの短編集です。青空文庫では、コチラ。今回も真っ先に「夢十夜」読みました。ただし、寺田寅彦からの流れで読んで居るので、随分と「物理学的に(若しくは哲学的に)」読んでいるようです。

第六夜。運慶が明治時代に仏像を彫っている夢。これを読みながら、頭の中で「ニュートンと似ているな」と感じました。ニュートンは「私は、科学の大海の前の砂浜を歩き、綺麗な貝殻(物理法則)を見つけて喜んでいる子供のようなものだ(無風凧の記憶によるので、細かな表現は違うかもしれません)」と言ってますが、これと、「仏像は木の中に居るのを掘り出している」「でも運慶以外が掘り出すことができない」と言う第六夜のストーリーが重なって見えます。美しい貝殻(例えば万有引力の法則)を見つけることができたのがニュートンであったように、仏像を彫り出すのは運慶にしかできない。

ニュートンは物理学、すなわち論理の世界の巨人。そして、漱石は言うまでもなく偉大なる文豪で、感性の世界の人。論理と感性と言う対極の位置にいるこの二人の思考が(嗜好かも?)がとても近いことに、驚きませんか?無風凧は、ちょっとどころか多いに驚いていると同時に「その類似性を彫りだせた」ことを一人喜んでいます。

さて。夢十夜を読みながら考えたことはもう少し続き、ここで、再度寺田寅彦が登場するのですが、それはまた、日を改めて。

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探し物の話

昨日。

無風凧はケータイを不携帯で一日を過ごしました。というのも、 昨朝は、会議資料集成のために、普段よりも早く家を出る必要があったのですが、出がけに枕元に見つからない。急がなくてはならなかったので、「仕方ない!」とあきらめて外出しました。

ケータイなしで外出するというのは、もしかしたら、、、この10年以上、一度もなかったことのように思います。

さて。22時半頃、、、いつものように帰宅すると、ケータイ君は「ベッドの布団」にくるまれて、暖かそうにお休みになってました。ベッドを見た瞬間にわかる位置にいました。きっと、アラームを止めた時に、枕元に置かずに布団の上においてしまっていたのでしょう、、、、

探し物って、意外と定位置にあったり、定位置にない場合でも「わかりやすい」場所にあるのに、気が付かない。そういう経験をした方はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。無風凧も、「なぜ、朝、出がけに見つからなかったのだろう?」と悔しく思いました。

ケータイ君、昨日一日休んだ分、今日は一杯仕事してもらうからね!(爆)

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お祈り

20141114お祈りしている猫ちゃん:
今日は無風凧さんが早く帰れますように、、、

写真出典 プリ画像
猫ちゃん、ありがとうございます!

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ウイルス君

今朝から。
10年振りに口唇ヘルペス、が発症しています。ユーフォニアムを吹いていた10年前くらいまでは、年に一度、できていたのですが、ここ10年ほど、ご無沙汰でした。というか、予兆を感じたらチョコラBB.。これで抑えることができていた、と信じています、、、実際は飲まなくても発症しなかったかもしれませんけど。

無風凧の家では、口唇ヘルペスのことを「熱の華」と呼んでいました。「疲れが熱の代わりに唇にでてくるものだ」、と迷信のように信じていました。でも、口唇ヘルペスはウイルス性ですから、熱が転化することはありません。もっとも、疲れで体力が落ちることにより、発症する、ということはあるでしょう。

さて。10年ぶりの発症。
これは、当時の ウイルス君 が再発したのでしょうか?それとも、新しく ウイルスちゃんに感染したのでしょうか? 正確にはわかりませんが、直感的には ウイルス君が10年振りに出てきた、という感じがしています。

10年間も無風凧の体の中にいて、外に出るチャンスをうかがっていたのだと思うと、、、ちょっとだけ ウイルス君 が可愛くなります。痛いのは横に置いて、「お久しぶり、よく頑張りましたね」って感じです。今晩一晩だけは、痛いのを我慢して、存分に暴れてもらおうかな、なんて思っています(w w)。

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プリンプリン物語

20141112_2プリンプリン味のガリガリ君
これを食べたらIQ1300!

写真出典 自前のiPhone4S
昨日につづいてガリガリ君です。ところで、読者の皆様の中で「プリンプリン物語」をご存じの方、どのくらいいらっしゃるのでしょう? 「IQ1300!」はプリンプリン物語の中のルチ将軍の決まり文句でした。

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ここまでおいで!

20141111白いガリガリ君:
無風凧さん、白いサワーガリガリ君、は美味しいよゥ!!食べたかったらここまでおいで♪

写真出典 自前のiPhone4S
今月は、、、なぜか コンビニ に行く回数が少なくて、ガリガリ君に気が付くのが遅れました、、、(笑)。白いサワー味、ってカルピスっぽいですね(爆笑)。、

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譲り合い?押し付け合い?

20141110猫のとらきち指令:
おい、ビリー。無風凧さんが少し太ったようだにゃ。指導に行くの、さぼってんじゃないか?

ダックスフントのビリー先生:
無風凧さん、「リリカ(歯の痛みどめ)」の影響で、少し太ったらいし。薬が切れるまでは、トレーニングしても効果ないだろうから、とらきち指令に行ってほしいワン。

写真出典 動物の恋人
秋の夜長、まったりしているとらきち指令とビリー先生。無風凧のトレーニングは、今回お休みのようです。 ビリー先生ととらきち指令は、無風凧のダイエットインストラクター。とても優秀なんですが、、、さすがに薬の副作用までは予測できなかったようです。
普段は、「動物の恋人」の看板獣。そちらも是非お楽しみください。

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学位について(寺田寅彦)

明治時代の物理学者・エッセイストに、寺田寅彦がいる。無風凧もかつて物理学の徒であったので、幾編は読んだことがあった。「電車の混雑について(青空文庫:コチラ)」は、無風凧は時々実践させてもらっています(笑)。

先日。大学の恩師(すでに82歳)の許を訪れた際、「最近、寺田寅彦の意味がとてもよくわかるようになり、読むのが楽しいです」とおっしゃっていたので、無風凧も早速、寺田寅彦の著作を読んでいる。寺田作品は、青空文庫に現代仮名使い訳されて登録されているから、非常に便利である。

その著述の中に、「学位について(青空文庫:コチラ)」という作品がある。冒頭で、昭和9年のこの文章、当時「博士の学位売買問題」が起きていたことを知らせてくれる。と、同時に。当時ですら、「博士濫造」と言われていたことを知るに至っては、居住まいをただして拝読せねばならない、と背筋が伸びる。

ここで、言わずもがなで思い起こすのは、早稲田大学の小保方氏の学位疑惑。これを、寺田寅彦流に解決すると、、、寺田氏の解決案は、各人「学位について(青空文庫:コチラ)」を読んでほしい。明治の碩学は、このようなことを考えていたのか、と頷くこと請け合い。しかし、それ以上に「統計力学的には卓見であり、百年後が読めていた人だ」と目からコンタクトな驚きを得るであろう。

その寺田氏の学位論文は「尺八の音響学的研究」。今晩は、これを読まねばなるまい。(コチラ 参照)

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秋なんだよなぁ、、、

物想いに沈むシベリアンハスキー君:
秋なんだよなぁ、、、そろそろ、冬眠の用意しなきゃなぁ、、、冬眠に備えて沢山食べなきゃなぁ、、、何食べようかなぁ、、、

20141108

写真出典 top1walls
シベリアンハスキー君、わんこは冬眠しないんですよ、、、雪の中、喜んで庭駆け回るのがわんこです! 間違えないようにねw w。

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ブルグミュラーのアラベスク

ピアノ初学者が必ず通る練習曲に、ブルグミュラーの"アラベスク"があります。

左手Am(イ短調)の主和音で始まる特徴的なこの曲、最も沢山の人に弾かれたことのある曲、という意味では、ベートーヴェンのエリーゼのために、よりも多いかもしれません。

先日、ある演奏家の方と話をして居る時に、この曲について盛り上がりました。そして、この曲に対する速度の認識、が違うことに気がつくまでに、そう長い時間は掛かりませんでした。その方の認識は、およそMM=120。無風凧は180〜200程度です。こんなにポピュラーな曲で、こんなにも速度感が違うとは!と更に盛り上がって、その場は終わりました。

今日、別の音楽家(作曲家)にお会いした時にこの話をすると、「120はちょっと遅めだけど良い感じ。無風凧は速すぎ!」と一笑に付されてしまいました。

正解は。楽譜を見れば速度指定が有りますのでそれを確認するとMM=152。確かに、無風凧が速すぎる、という結果になりました。悔しい(-。-;

でも、、、無風凧が習った時は、確かにこの速度だったと思うのですけど、、、

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日本の響きを作る(小山清茂の仕事)

20141106田螺くん:
僕、なぜ急に呼ばれたんだろ?

写真出典 株式会社 科学クラブ
先日の記事に小山清茂先生の作品が楽しみだ、と書きました(コチラ 参照)。その小山先生の著書「田螺の唄が聞こえる」は、無風凧宅にサイン本があります。

ところで、小山先生お仕事を書いた「日本の響きを作る、、、小山清茂の仕事(音楽之友社)」という書籍があります。この本を貸してくださる方がいらっしゃり、この2日、読んでいます。。。あまりに楽しい。あまりに素晴らしい。小山先生のお顔が浮かぶようです。

p59:
「、、、本場には篠笛を持ってきて、要所要所持ち替えて吹いた。、、、恐らく彼は、里神楽などの笛を習った経験の持ち主で、、、、、こういう人がピッコロの譜面をみれば篠部のどういう指使いのどういう感じのフレーズであるかということがすぐにわかるのであり、、、」

これは、「日本音楽という教養が必要だ」と言っていることがお分かりいただけるでしょうか?ここでいう”教養” は、「G型についてさらに考える(コチラ 参照)」で無風凧が主張していることと、まったく同じであるといえます。つまり、音楽の例を用いて、教養とは何か、もっと言えばG型のあるべき姿とは何か、を論じてくれているといえましょう。

これは一例でに過ぎません。無風凧が普段思っていることが、いたるところに書かれていています。この記述が昭和50年ころ。、、、無風凧は、小山先生に40年遅れて、ようやく同じレベルに達したのかな、と思いました。

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伎楽面との会話

11月3日の文化の日。無風凧は、一日休みをいただきました、、、とても楽しい一日でした(*^.^*)。

長年懸案事項だった「西郷丼」を食べたあと、上野の東京国立博物館へ。国宝展を見ようかな、と思っていたのですが、40分待ちと聞いて断念。そして、、、いつものように、法隆寺館に行って、「伎楽面」と会話しました。

東博の伎楽面は、年に3回しか公開していません。無風凧は毎年一度は訪れる、お気に入りのスポットです。7世紀のお面とゆっくり会話する、、、なんと楽しい時間なんでしょう!

一般的な展示物って、「見る」ために最適化されているように思います。だけど、伎楽面は、ただそこに座っている。まるで、人が座っているかのように。少し落とした照明の効果?それとも、ほとんど人がいない空間なので、”伎楽面が無風凧に注目してる”から?

そして、気が付くといろいろ話しかけてくる。すべて見たことがあるはずで、何度も会話したことあるはずで、、、でも、そのたびごとに違う表情で話しかけてくる。お面達は意外と能弁です。だから、一時間も滞在して外に出ると、しゃべりつかれた感じがしてきます。

そんな至福のひと時を過ごしました。

補足: 伎楽面の話は、書いた記憶があったのですが、、、今探したら、見つかりませんでした。どこに行ったんだろう?(爆)

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俺も人参食いてえなあ、、、

草を食んでいるお馬さん:
無風凧やつ、毎日人参食ってんだって?俺も人参食いてえなあ、、、毎日葉っぱばっかじゃ飽きちゃうや。


写真出典 (c) .foto project
先日は、うさぎさんも無風凧のこと、羨ましがっていましたね(コチラ 参照)。無風凧の人参丸かじりのマイブームは、、、下火になった模様(爆笑)。

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G型についてさらに考える

さて、一昨日の続き(一昨日は コチラ 参照)。

G型とL型と直接つながるわけではありませんが、以前の記事にも関係ありますので、取り急ぎ”カテゴリー「大学はかわらなくてはならないのか」”を読んでいただけると嬉しいです。

、、、、

さて。準備ができたところで。

言いたいことは、”教養=文化”をどのようにとらえるのか、ということ。大学において、一般教養として扱われている、と皆さんおっしゃる内容の問題かもしれません。

グローバルに、、、あえて対外国という前提で、、、活動するには、日本について知る必要があります。グローバルに活動しようとすればするほど、「日本」について詳しくなくてはならない。

無風凧が外国の方とお話しすると、必ずと言ってよいほど、歌舞伎の話、相撲の話します。そして音楽家と話をする場合には、日本の伝統音楽について訊かれることも多いし、古典文学の話も興味があるらしい。

日本に来るお客さんをエスコートして、浅草寺、歌舞伎座、鎌倉、、、などに行く。その際は、歴史も相当詳しく知ってないと(教科書で習う歴史というよりは、雑学的な歴史知識ですけど)対応できない。

そのうえで。外国の文化も知ってなくてはならない。クラシックの音楽会であくびをしない程度の教養、、、、

これらができて、初めてグローバルな人材だといえます。

でも、このレベルで話ができる人はほとんど見たことないですし、今の日本の大学教育では、教えることがないといえます。少なくとも、無風凧の考えるレベルで教育はなされていないし、さらに言えば教養科目として「教える」としたら、「どのようなカリキュラムになるか」考えるだけで何十年とかかるかもしれません。

でも。G型で活躍するためには、必須。英語や経営分析力や、、、よりも、日本人としてはるかに重要なことだと思うのです。

もし。「大学を変えなくてはならいのか」と訊かれたときに、グローバルに通用する人を育成するためには”教養教育が必要”というのが、無風凧の主張の一つです。そして、これこそが”文化”なんだと考えています(今日は文化の日)。

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汗をお拭きになってくださいな(^.^)

20141102はなちゃん:
無風凧さん、お忙しそうねえ、、、額に汗が浮かんでますわよ。これでお拭きになってくださいな。

写真出典 匿名希望様ご投稿
先週に引き続いて 柴犬のはなちゃん 登場です(先週の記事は コチラ 参照)。はなちゃんは、タオルとじゃれるのが大好きなのだそうです。きちんと絞ったタオルを持って来る はなちゃん。「オモテナシ」が最高ですね\\(^.^)//q

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G型大学、L型大学

文部科学省の「有識者会議(実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議)」というところで、配布された資料に、面白いことが書いてありました。(コチラ 参照・・・PDFで大きいのでご注意ください)。

会議を傍聴していたわけではなく、パワポ資料だけからの「読み取り」なので、発表者の意図とは違うかもしれませんが、、、曰く。

G型大学: グローバルな視点での教育。いわゆるエリート教育。
L型大学: ローカルに役立つ教育。いわゆる専門学校的教育。

もちろん、これが言いたいことのすべてではないのですが、無風凧の以下の主張にはここまでで十分。

これって、無風凧の考える分には、新たな教育機関として必要なものではなく、「大学はすでにほとんどがL型」なのです。理想としてはG型を標榜している大学でも、実際はL型な教育しかしていない。大学の広報活動で「就職率云々」をうたっている大学は、無風凧的には完全にL型です。少し長い記事ですが、以前書いた 「大学は変わらなくてはならないか (コチラ参照)」をご覧ください。(専門学校と職業訓練学校は同義で使っています)。

そのうえで、大学令や教育基本法を読み直すと、G型大学がもともとの大学として考えられていたものだ、と理解できます。

ようやく、、、文科省も気が付いたか、と思ってます。

そのうえで! より大切な指摘をしたいと思いますが、それは「文化の日」に書きます。お楽しみに。

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