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朝日新聞の日本語

従軍慰安婦記事、福島原発吉田所長調書、池上彰氏コラム問題、、、、ここしばらく、朝日新聞の「お粗末」な記事が相次いでいます。各々の記事に対して、無風凧も意見は持っていますが、今回は違うお話。これらの「お粗末」が、すでに朝日新聞グループの体質となってしまっているのではないか、という指摘をします。

それは、「日本語の乱れ」です。日本語で伝える報道機関として、これはあまりに「ひどい」と思うのです。あたかも、不良学生の芽を摘むのは衣服の乱れをチェックすること、のように、報道機関の体質の乱れは、記事の日本語を見ると伝わってきます。

<引用:9月13日朝日新聞社説: http://www.asahi.com/paper/editorial.html?iref=comtop_pickup_p

論じることの原点を心に刻んで

朝日新聞は、戦後に例がない大きな試練を自ら招いてしまいました。
 一昨日、木村伊量(ただかず)社長が記者会見し、福島原発事故での「吉田調書」をめぐる誤報や、慰安婦報道での間違った記事の撤回の遅れなどを謝罪しました。
 「吉田調書」は、社説でも取り上げ、全面公開を求めました。その中で、誤報だった記事に基づいて「所員の9割が命令に反して10キロ余り離れた別の原発に一時退避」や「所長の指示・命令が守られず」という表現を使いました。社説を担う論説委員室として、読者や関係者の方々にかさねて深くおわびします。
 また、慰安婦報道検証や、それについて論評した池上彰氏のコラム掲載見合わせも、重い問題だと受け止めています。(以下略)

<引用ここまで、太字斜字は無風凧>

記事がきっとExpireされてしまうでしょうから、冒頭部分を引用しておきます。

さて。この文章は、社説です。朝日新聞の「顔」と言ってもよいでしょう。この「社説」に「日本語としての乱れ」はどれくらいあるでしょうか?

まず、この社説は、「朝日新聞の顔として、謝罪をする」文章なのか(身内)、「第三者的に朝日新聞自体を論ずる」文章なのか(第三者)、はっきりしません。

一番わかりやすい例は、「木村伊量(ただかず)社長」という表現ではないでしょうか。身内として文章なら、自社の社長に対して敬称つけること自体、日本語としておかしい。

では、第三者的に論じているのだとすれば「重い問題と受け止めています」という表現は、主語が不明瞭になります。やはり、主語は「我々=朝日新聞総体として」と読むべきでしょう。なんといっても、文章の書き始めが「朝日新聞は」ですから。

次にわかりやすいのは、「その中で」でしょうか。この「その」が何を指しているか、すぐにわかりますか? じっくり読めば、数語前にある「社説」であろうという推測は立つのですが、その前の文章「「吉田調書」は、社説でも取り上げ、全面公開を求めました」を素直に読むと、社説で全面公開を求めてると読めますから、その「全面公開を求めた記事の中で誤報があった」となり、やはり矛盾は消えません。

さらに言えば、「かさねて」。これは今までのこの文章の中で「一度お詫びをしていますがもう一度お詫びします」という意味なのですが、社説を担う論説委員としての謝罪は、ここが初めてです。なにも重ねてはいないのです。。。。

今日の社説全部を通じると、もっとたくさんの「おかしな点」を指摘することができます。

。。。

「無風凧さん、この日の社説以上の文章が書けますか?」、

と問われると自信はありません。だから、このあたり指摘はやめます。しかし、不良学生の萌芽を見つけるがごとく、文章に体質異変の萌芽を感じています。このブログをお読みの方、無風凧の感じている「日本語の乱れ」を感じていただけますか?

日本語の乱れは報道機関の体質の乱れ。正しい日本語での報道をお願いしたいと願います。そして、それが報道機関の体質の健全化の第一歩だと考えています。

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