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大学は変わらなくてはならないのか(再)

前回から、少し間が空いてしまいました、この話題。

というのは、前回までの記述が、「少しわかりにくい文章だな」と思って、どのように修正しようか迷っていたからです。今回、少し長いのですが、主張の論理構造を書いてみます。

無風凧の結論は、 「大学は変わらなくてよい」と考えています。ただし、この「変わらなくてよい」というのは、以下の意味においてです。

1) 各大学において、大学令や教育基本法の存在目的が遵守されている
2) 国民の思っている「大学卒業生の像が上記1)と合致している」

少し突っ込めば、2) は 「大学卒業生像が 1) である」ことが前提であるという事です。

現実問題は。勘の良い読者の方はもうお気が付きと思いますが、

1) 大学において、教育基本法の存在目的がお座成りになっている。
2) 大学卒業生像の 理想と現実が離れすぎている。

が課題です。2)に関して言えば、、、「大学を卒業したからには、生活が安定してほしい」という本人および親の気持ちはわかりますが、そのための「手に職をつける場」として、大学を活用しようとしている場合が多いことが上げられます。教育基本法の存在目的に、「卒業生の生活」などは一言も書いていないことはいうまでもありません。

大学おにおける存在目的も、ほとんどの大学において「就職率」や「就職へのフォローの手厚さ」を掲げています。つまり、、、自分の大学の「存続」のために、必要な手段の一つとして「就職率」があるわけです。

ここで。就職率を「目の敵」にするわけではありませんが、大学が「専門学校化」してしまうことは理解していただけるでしょう。

というわけで、今の大学が「専門学校だから、正しい存在目的の大学に変わるべきだ」という主張であれば、「大学は変わるべき」だということに、賛成します。でも、実態はそうではない。

日経の「大学は変われるか」を例に出すまでもなく、「変わる方向」は「専門学校化」をしめしている。つまり、「教育基本法とは違う方向」に進ませようとしているように思います。これは、、、大学との専門学校化を意味していると言えます。これには大反対。

だから、「大学は変わるべきではない」と主張しています。

注: 今回、「専門学校」を悪者のように書いてしまいましたが、それが主張ではありません。裏返せば、「専門学校こそ、今、求められている」、というのが、主張ですが、それは次回改めて。

注2: グローバル化 についても同様の議論をすることができますが、これも回を改めて記述したいと思います。

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