キャップ制(大学はかわらなくてはならないのか)
最近の大学で驚くことは、キャップ制が敷かれていること。無風凧が教鞭をとった大学でも、コンサルした大学でも、適用されている。キャップ制の目的は、
「一定期間(半年・一年など)内で同時に申請できる授業の数が制限され、学習者の能力を超えた過剰な授業申請をしたり、選択必修の枠にある講義を保険として申請したりすることを防止する (Wikipedia より。2014年6月28日現在)」
ということである。確かに、無駄に科目を多く選択してしまい、GPAが下がってしまうことや、最低点に届かなくなることを「防止」することは必要なことかもしれない。そして、 Wikipediaでは更に、
「大学改革のためにこの制度を設けた大学は年々増加傾向にある」
と続く。つまり、キャップ制も「大学が変わるため」の一つの手段だと書いてある。
しかし、無風凧は思うのである。「キャップ制で救われる学生は皆無であろう」と。それよりは「弊害の方が多いだろう」と。
なぜなら、
1) そもそも、沢山申請しても、自分の興味のある科目は限られるので、取得単位は限られる。
2) キャップ制のため、申請科目が減ると「取りたい科目の選択肢が減る」ので、長い目で見たときには、学生にとって不利である。
3) それ以上に、「GPAが下がってもよいので、色々なことを勉強したい」という学生に対して、フォローができていない。
まだ色々考えられるが、大きくはこんなところであろうか。 GPAを上げる、というのも、アメリカナイズした考え方。少ない科目で良い成績、と言えば聞こえは良いが、知識の多様性を否定している。つまり、「教養」としての知識習得を軽視している、と言えば弊害に見える。
教養は、大学と専門学校を分ける最大の「違い」であるから、その意味では、「キャップ制は大学の専門学校化」を進める手段といって過言あるまい。
そのように考えると。キャップ制は、「大学の専門学校化を進める」という意味で大学を変えようとしていると結論できる。これが皆さんの思う「大学の変わる方向」であろうか?無風凧は「否」と即答する。
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