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ポジションと発言

先週、NHKの籾井会長の発言が、世の中を騒がせました。

従軍慰安婦発言や、理事全員に辞表を出させた発言です。それ以降、無風凧は少々思惟を重ねました。

「組織の長は、発言を制限されるべきか」

持論が世の中の大勢に従わない場合、自分を殺してでも大勢に従う発言をすべきか、それとも持論を展開すべきか。

一週間以上考えて、結論は、持論を展開すべき、になりました。今日は、その思考過程を書いて見たいと思います。

まず最初に、非常にレアなケースで汎化することはできませんが、ガリレオの「それでも地球は回っている」が有るでしょう。多数決で必ずしも正しいものが選択されない、というよい例です。これなど、持論を展開すべき、というのは、現代人ならば常識でしょうが、ガリレオの時代は死罪でした。

本質的には、意見が統一してしまうことを恐れます。ユダヤ人は、「全員一致した意見は採用しない」と言うルールがあることを「日本人とユダヤ人(イザヤ・ペンダサン著)」で読みましたが、全員一致の場合、良し悪しを深く考えることなく進んでしまうことがあります。たとえ、それが間違った道であっても。
このように考えると、意見の統一化は、あまり褒められたものではない。世論に従った意見を述べる「組織の長」が増えると、どんどん意見が統一化されていくことになります。意見の統一化が支持されないという前提の元では、組織の長が「大勢と同じ意見を述べる」ことは、正しいくないことになります。
結果として、「組織の長は持論を展開すべき」という結論が導かれます。

空気を読んでない発言をした、と言われている籾井会長の発言は、非難に値しないものだと言えましょう。

かくして、(再掲になりますが)「組織の長は持論を展開すべき」という結論を得ることができました。

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