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作曲家の動機、演奏家の動機。

今日は、色々なことがあって、何を書こうか、、、と迷いましたが、やはりこのネタ。

NPO法人純正律音楽研究会の「玉木宏樹をしのぶ演奏会」に行ってまいりました。玉木さんの鬼才ぶりはいろいろなところで聞いていたのでもうあまり驚かなくなっていたのですが、ピアノ練習曲「山手線」では久しぶりにぶっ飛びました。右手ホ長調、左手変ロ長調のメロディを弾く。文字で書くのは簡単なことなのですが、実際に調性を維持したまま引くのは(拍が違うこともあり)相当に難しいことです。

この曲を、いとも簡単に弾いて見せたのが作曲家・ピアニストの松本望さん。テクニックより音楽性が要求されるこの曲を、充分に余裕をもって弾き切りました。ひさしぶりに、無風凧の目の前がハジケました。才能、という言葉で片付けるのはもったいないくらい(無風凧は、今日、初めて知ったピアニストです)。

そこで考えたことは。

いままで演奏会で曲を聴く場合や、自分で演奏する場合、「作曲家はこの曲で何を表現したかったのか?」を深く考えて聞いたり演奏したりします。一般的にはそうでしょう。しかし、玉木さんの「山手線」の場合、「何を表現したいのか?」よりも「なぜこのような曲を書こうと思ったのか」というもう一歩前の段階の深い洞察が必要だということ。メロディとハーモニーを大切にした玉木さんが、「なぜ、ホ長調と変ロ長調という異なる調の曲を書きたいと思ったのか」。

この視点を入れると、一般的なピアニストはちょと困ると思います。書かれている曲を解析して弾くのがピアニストですから。でも松本さんは、作曲家でもある。だから、「なぜこういう曲を書こうと思ったか?」を無意識のうちに分析・解析して、自分の演奏に取り込んでいたのでしょう。

いま、改めて楽譜を読みながら、「簡単なフレーズの組み合わせの超難曲」を軽々と弾いてくれた松本さんに拍手です。

# ソシュール的な表現をするななら、楽譜はシニフィアン。楽譜であらわされているものがシニフィエ。アナリーゼするときは、シニフィアンとシニフィエの関係を解析・考察します。そして、シニフィアンに「演奏上の解釈」をすることによって「シニフィエ」を再現します。この作業において、「そもそも、なぜその語法を用いたのか」は、大して議論されることはない。(卑近な例では、猫というシニフィエに対して、猫という日本語をシニフィアンとしてもちいるかCatという英語をシニフィアンとして用いるかは、大した問題ではなく、猫という実態が大切である、としてアナリーゼされる)。しかし、どの語法、、猫の例でいえば「英語でいうか日本語でいうか」は非常に重要な問題であろうし、それを無意識に分析、解釈して演奏しているのが、松本さんの演奏だったように思う。

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