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体罰問題を考える

大阪市立桜宮高校の体罰・自殺問題がこの一週間、新聞紙面などをにぎわしています。

今日は、敢えてこの問題を題材に、「体罰」についての私論を展開したいと思います。

論点は3つ。

まず、体罰は100%いけないことでしょうか? 無風凧はそうは思いません。「行き過ぎな体罰」と言うものはあると思いますが、だからと言って、100%否定するのは「熱物に懲りて膾を吹く」ようなもの。なぜ行き過ぎた体罰が行われたかの原因究明・問題解決にはふれずに、臭い物には蓋をせよ、的な解決策だと考えます。

つぎに、今回の事例で、体育科募集を中止することの是非。上述の「原因究明・問題解決」として、「体育科がなければよい」と考えたのでしょう。勿論、論理的には正しい方法だと思います。しかし、同じような問題は、教師の「言葉によるいじめ」で起きたときにはどうするのでしょうか? 言葉による「いじめ」は、普通科でも商業科でも、、、およそすべての科で起き得ます。それらをすべて中止するのことは考えられないでしょう(?) 同様に、体育科=体罰 というのは短絡思考で、やはり「臭い物には蓋」的な解決策だと言えます。

では、なにが本来的な原因でしょうか。無風凧は、日本人が日本人としての教育を忘れていることが原因だと考えます。教育とだけいうと曲解があるかもしれませんから、「教育」とか「哲学」とか「文化」とか「しつけ」とか、、、、言い換えることができます。

例えば、昔は、隣の家の子が行き過ぎた悪戯をした場合に、横丁のご隠居による「しつけ」がありました。今は、そういう「地域ぐるみのしつけ」みたいなことは行われません。この結果、子供は「かなり大きくなるまで、社会の中で分をわきまえる」ということができなくなる。この「分をわきまえられない」子供が成長し、もしくは教師に成ると、歯止めが利かない、、、という推論をすることができます。風が吹けば桶屋が儲かる、的な推論に思えるかも知れませんが、このような事象をたくさん集めていくと、結果として、「核家族化」「少子化」などがもたらす「しつけ」、、、(ここで「しつけ」とは、上述のように「教育」であり「哲学」であり、、、です)、、、の欠如がもたらしたものと言えます(少し説明不足はありますが、主張をご高配頂ければ幸いです)。

昔は「親の顔を見てみたい」という言葉がありましたが、これなんかもう死語かもしれません。でも、こういう「感覚」をもち、子供が「回りに迷惑をかけない」というしつけが子供の頃からなされることにより、自制心が養われ、体罰する場合にも「程度」をわきまえたものになって行きます。また、体罰を受けた方も「忍耐力」がついていますから、容易に自殺に走ったりはしなくなるでしょう。

このような「しつけ」を、改めて始めていくことにより、数年後は行き過ぎた体罰やいじめの少ない世の中を作っていくことができる、このようなしつけこそが大切なんだ、と考えています。

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