新設大学認可問題を考える
田中文科相の「新設大学認可」が迷走していました(たとえば コチラ 参照)。昨日(8日)、ようやく最終決裁され、設置が認められました。新設大学の準備のために、奔走していた方は、ジェットコースターに乗ったような一週間だったでしょう。お疲れ様です。
ところで。Net上のニュース記事(新聞社のページやYahoo Newsなどの「報道」からの記事を中心)をみていると、「認可しないことは不適切だ」という論調です。田中文科相の罷免まで取り沙汰しているページもあります。たしかに新設大学の立場(各論)から見れば、「ここまでキチンと手続きを踏んできたのだから認可しないことは不適切」だといいたい気持ちは分ります。また、報道関係もその気持ちを斟酌して、入学予定の学生(各論)の気持ちを代弁して、そして、報道関係者は「目を引く見出し」のために「田中文科相、不認可」の文字を使いたくなる気持ちも良く分ります。
実際問題として、「適切な手続きがなされているのに認可されないことの是非(ルールに関する議論)」は制度としての問題でそちらの視点での報道ばかりです。「新設大学が必要か」という本筋の議論(田中文科相は、その点を指摘している)なされなかったことは、今回の記事では非常に残念です。もちろん、「東北に芸術系の大学は無いから必要だ」という「肯定派」の意見はでていたのですが、やはりこれらも各論。
現在、日本の大学の46%は定員割れをしている、という事実。少子化が叫ばれている中、この20年で、大学数が1.5倍に増えている(250校増えている)。そして、大学全入時代。その中で、繰り返される不登校と留年。その結果の経営難による閉校も相次いでいます。これらに鑑みると「認可制度の見直し」が必要な時期にきていると考えられます。
このように日本全体を見た「総論」的な意見では「新設大学は不要である(もしくは慎重に検討されなくてはならない)」と考える方、言い換えれば「田中文科相の不認可に賛成の方」も多いのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
その意味で、報道の立場として、「総論的な日本の現状」も記事にしてほしかった、と思います。
<補足> いきなり不認可、ではなくて、違う方法もあったかもしれません。いや、違う方法が良かったのでしょう。でも、今の猫の目のように変わっていく政争の中で、自分の在任中に結果を出すための、一つの方法だったと思います。
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