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ランキングについて考える(24)

このシリーズ、番外編が続きましたが、ようやく「本線」に戻します。前回「ランキングついて考える(23)」の宿題を考えてみます(宿題については こちら 参照)。

復習も兼ねて、前回の宿題とは。

ランキング人仮説では、「人は常に上のランクを狙う」ということが、「人(人間)の本質である」と仮定しています。ところが、アトランタオリンピックのときの有森裕子選手は「3位だったけど、自分をほめている」のです。これは、矛盾を感じる人が多いのではないでしょうか。言い換えれば「ランキング人仮説が間違っている(?)」。

一言で言えば、ランキング人仮説と有森発言は矛盾しない、という立場をとります。今回は2つの説明をします

まず一つ目。
ランキング人は「上のランク(順位)」を狙い続けるとします。たとば、世界ランク815番の選手がいたとしましょう(815は、今日の日付です。深い意味はありません)。この選手、もちろん上位を狙っていくわけですが、、、例えば、799位になったとき。「嬉しい」と思い、さらに上の順位(ランク)を目指すMotivationになる、というのは非常に自然なことだと思います。そして、750位になったときも、違う「喜び」があるでしょう。その喜びを得たいが故に、「更に上の順位を目指す」。

そうです。ランキング人仮説の「常に上の順位を目指す」という本質は、言い換えれば、「順位が上がることに喜びを感じる」と同値だと思うのです。ここで、喜びを感じることに対して、「自分を褒める(自分にご褒美を与える)」のは、矛盾はありません。

もう一つ。
ランキングは、「相対的な」上下関係を示すとともに、「ほぼ連続的に目標設定ができます」。 つまり「僕はまず、ベスト10入りを目指す」「私は自己最高の7位を目指す」「メダルが欲しいから3位入賞」など、「自分で目標の数字を決めることが出来ます」。この目標達成が満足を与える、というのは無理がありません。これに対して、例えば大学入試。合格か不合格か、結果は2値ですから、「連続的な目標設定はできません」。

つまり、連続的に目標設定が出来るからこそ、ランキング人仮説として「上を目指す」が言えると同時に、「途中の順位でも満足を得ることができる」と言えます。

次回は、少し端折った説明になりますが、オートポイエーシス(第三世代システム論)的な説明をするところからはじめましょう。

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