好きな音楽2012年7月
ここ最近、歌曲に触れる時間が長い無風凧。それも、CDなどの録音だけではなく、実際の演奏会やリハーサルにも顔をだしている。
さて。
無風凧的には凄く不思議なことが一つある。それは、歌曲のKey(調号)のこと。
声は、人によって高低が異なる。つまり声域はその人の体格や声帯などの物理的な条件によって異なるから、打楽器や弦楽器のように、「作曲したとおり」の音で演奏できるとは限らない。
たとえば、 ある人Aが 「ソ」の音までが声域だとして、「ソ」なら出せるとしても、曲Mが「ラ」まで要求しているとすると、人Aは、曲Mを演奏することができなくなる。そういうときに、声楽の方々はよく 「移調」という操作をする。つまり、自分の歌える音域になるように、曲の調を変えてしまうのだ。 たとえな 原曲が Cdur で 最高音が一全音高すぎた場合は、一全音低い調である B♭ dur にして歌う。(当然、低すぎるときは、移調して 上げて歌う)
歌の場合にはよく行われているようで、先日のある演奏会では、原調で歌われている曲は無し。全て歌い手が歌いやすいように 移調 して歌われた。
しかし、とここで無風凧は考えるのである。
曲と調号の関係は非常にデリケートだ。一音違うと、曲の印象はまったく異なったものになる。シベリウスの場合、調号と「色」をリンクさせていたらしいので、なおさら、移調すると曲の印象が変わってしまう。ピアノ曲は言わずもがな、声楽以外のクラシック系音楽で、移調して演奏されることはほとんど無い(子供が演奏するために簡略化する場合や、管弦楽を吹奏楽編曲する際に一全音下げる、などはあるけど)。
でも、歌曲の場合は、慣例的に行われているのだ。
もともと、ピアノやオケ、そして吹奏楽に親しんできた無風凧にとっては、歌曲の場合の移調は 理解できない 音楽の一つでなのである。
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