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解放のテーマ:フィンランド独立記念日にショスタコビチ「1917年」を聴く

1917年の今日、Finlandが独立したことを思い出し、SibeliusのFantasia(つまりFinlandia)とSchostakovitchの12番1917年を続けざまに聴いた。
Finlandiaはオラモ/アイスランド、1917年はコンドラシン/モスクワ。

Finlandiaが出来た1899年頃は帝政ロシア時代。その圧政に苦しめられ、独立への足掛かりになったのがFinalndiaだといっても、(Sibeliusファンに限らず)過言ではあるまい。1917年にロシア革命がおき、フィンランドやっと独立する。
その歴史から考えると、SibeliusにしてもFinland国民にしても、レーニンはある意味で"神様"的な存在ではないだろうか。事実、1917年に独立直後のフィンランドは共産主義国だった。
つまり、帝政ロシアから独立できた象徴がレーニンだったであろう。その意味では、レーニンの想い出と題される「1917年」はFinland国民にとっては受け入れやすい音楽だと考えれる(仮説1)

Schostakovitchにとってのレーニンは、どうであろうか?Schostakovitchはなかば強制的に共産党員にさせられていた。皮肉屋のSchostakovitchが、素直にレーニン礼讃の曲を書いているはずはない。Ironyに富んだ、一見共産主義しかし実は反共産主義な作品に出来上がっていると考える方が自然である。つまり、1917年は、レーニンのことを「褒め殺し」している作品ではないだろうか。そうだとすれば、Finland国民にとって、1917年は受け入れにくい音楽になっていると考えられる(仮説2)。

仮説1と仮説2は矛盾している。この矛盾を解決する為に、2曲を続けて聴いた。自分の感性で真偽を聴き分けてみることを試みた。二曲続けて聴いて、違和感がなければ仮説1が支持され、、違和感が強ければ仮説2が支持される。
結果は、、、個人的には仮説1が真であるように感じる。二曲続けて聴いて、違和感が無い。なぜであろうか。

理由を考えた。
最初は、コンドラシン/モスクワの演奏に原因があるのかもしれない、と直感した。仮定2で言っている「褒め殺し」のはずが、「褒め」で終わっている場合だ。コンドラシンとSchostakovitchはお互い良好な関係であったと思われるが、コンドラシンが亡命する前のモスクワでの録音である。
だとすれば、「褒め」で終わっている可能性は大いにありうる。

しかし、なんとなく弱い。

ふと、共に「解放のテーマ」が根底に流れてるのではないだろうか、と考えた。
「1917年」4楽章は、一般的には「共産主義による人類の夜明け」と呼ばれているが、それを、「共産主義による」を「○○による」、そして「夜明け」を「独立、解放」と読み替えても、主張には大きな矛盾はない。もし加えるなら、「××からの」があり、「××」は「共産主義」でも「帝政ロシア」でも同じロジックだ。
つまり、1917年は、独立、もっと強く言えば何らかの束縛からの解放を勝ち得ることを支持する曲だといえるのではないだろうか。
Schostakovitchは、共産主義からの独立(解放)を強く願った音楽を1917年に託したのだ。シベリウスが、Finlandiaに帝政ロシアからの独立を願ったように。

 「解放のテーマ」。
この説を思い付くにいたり、仮説1と仮説2の矛盾は存在しない事に気がつく。そして、納得。

二つの音楽の余韻を楽しむため、コーヒーを淹れた。

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