境界について考える。(コネタマ参加中!)
ブログネタ: 【写真ネタ】雨の日の風景を撮ってください!
突然の夕立。そして、雨宿り。濡れずに済んだことに安堵しながら考える。「雨に濡れる場所と濡れない場所の境界はどこにあるのだろうか?」
そう思いながらとった写真が、この写真。奥の方、既に濡れてしまっているところに立っていると、「濡れてしまう」。手前、雨粒の後が見えるところだと「少し濡れる」。無風凧が写真を撮っている場所だと、「濡れない」。
雨が強くなったらどうなるのだろう? 風が吹くとどうなるのだろう?どんな場合でも安全(絶対に雨に濡れない)な場所って線が引けるのだろうか? 線を引いたあとに、その時の想定以上に強い風が吹いたら、安全な場所は安全では無くなるのだが、、、
このように考えると、「境界」を決めるには「想定(前提)」が必要であることに気が付く。想定を超えた場合には、「安全な雨宿りの場所」は絶対的な安全では無くなる。
東北大震災を例に考えてみる。津波からの避難場所も、原発の放射の汚染も同じ。 想定(前提)の下での安全を論じているに過ぎない。想定を超えた場合に、安全の境界は動く。
想定が想定でしかなく、想定以上の未曾有が起きる可能性が存在する以上、「絶対安全」の境界は存在しない。絶対安全の境界が存在しないのなら、考えうるすべての場合(想定を超えた場合まで)を考慮して境界を「設定」もしくは「提示」ことが我々人類に出来る精一杯の努力ではないだろうか?増して、「数年後の影響」など、今は解かろうはずもないのだから。そして、その境界を信じるか信じないかは、個々人の責任に帰属すると、無風凧は考えている。読者の皆さまはどうお考えだろうか?
写真出典 自前のiPhone
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