楽譜と音源の関係(無風凧の気持ち、翻訳。)
無風凧は、、、音楽が好き。
どちらかというとバロック、クラシック~現代音楽、というジャンルが好きですが、吹奏楽やジャズも好きだし、タンゴも大好き。めったに演奏しないけど、聴くだけではなく演奏することも好き。
昔の音楽は、"楽譜"があるから今に残っている、と行っても過言ではないでしょう。現在演奏されているクラシックの曲は、残されている楽譜の"1%程度だ"という記事を読んだことがありますが、今は"演奏されていない"、すなわち"音源がない"曲も、まだその”曲”としての存在をつなぎとめていて、誰かが演奏してくれるのを待っています。(演奏されなくては"音源"が無いことは自明ですね)
このように、"楽譜"と"音源"は、切っても切れない仲。最近は楽譜がなくて「耳コピ」という方も多くなりましたし、DTMでは「音の断片のコラージュ」ということも多いのですが、でも、だからと言って"楽譜"と"音源"の関係が崩れているわけではありません。
でも、その"楽譜"と"音源"。21世紀の今は非常に可哀そうな関係になっています、、、というのは、楽譜は出版社、音源はレコード会社の持ち物。本来切っても切れない仲の二つがバラバラに管理されているのです。まるで、天の川を隔てた彦星と織姫みたいに。
無風凧は思います。"楽譜"と"音源"。なんとか"一緒にすること(コラボレーション)"が出来ないかな、と。
例えば音源(録音された演奏)を聴く時に、楽譜があったら、ちょっとだけ深い楽しみ方が出来るような気がします。楽譜を見た瞬間に頭の中で音が鳴らないような大きな曲の場合、その場で"音源"があれば、、、と思ってしまいます。複雑を極める現代曲の場合、楽譜に書かれていないニュアンスは"演奏"が一緒にあることで、やっと作曲者の意図が後世に引き継がれます!
無風凧は今。
"楽譜"と"音源"のコラボレーションに向けたチャレンジをしてみたいと思っています。
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