大内延介氏引退、、、もう一人の名人
3月9日。第68期将棋名人戦・順位戦 C級2組が行われた。実はこの日には既にきまっていたことではあるが、大内延介9段の引退が決定した。
棋界最高齢の有吉9段に目が行くことが多いが、無風凧としては、大内9段も忘れ難い。今日は、大内9段に纏わる話をつづろうと思う。
大内9段が実は名人だった!と聞くと、驚かれる将棋子の方は多いのではないだろうか?いや、オールドファンなら「そうそう」と頷いて下さるかも知れない。 「名人戦」主催の朝日ー毎日移籍問題で、1977年は名人挑戦者決定ができず、名人戦は行われていない(その間は、公式には中原名人が就位している)。つまり、第35期は1976年で第36期は1978年である。その間の1976年末に、毎日新聞は、移籍記念の「特別名人戦」なるトーナメントを行った。大山名人、中原名人、灘蓮照、花村元司、加藤一二三、米長邦雄、、、そして大内当時8段が参加した(合計10人か12人だったと思う)。
この特別名人戦で優勝したのが大内当時8段。当時、毎日新聞から貰ったブックレット(黄色い表紙だったことを覚えている)には、確かに「特別名人」と書いてあったと記憶するが、、、、もう手元に無いので、確としたことが言えない(残念である)。無風凧は、そのブックレットを見ながら、大内将棋を何度もならべた。
今、この「特別名人戦」の痕跡がWeb上には見つからない(探し方が悪いのかも)。日本将棋連盟の記録からも消えている、、、とても残念なことである。でも、いや、だからこそ、無風凧は大内9段のことを、「大内名人」と呼びたくなる。
2009年度の最終局をもって、大内名人の将棋を見ることはできなくなるが、、、これからは、きっとまだまだ続くであろう大内名人の「ラピスタ新橋」での大盤解説会に行って、名調子を聞いて来るとしよう。
大内名人、長い間、お疲れ様でした。
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コメント
ごんべえさま
コメントありがとうございます。
「名人戦復帰記念特別棋戦」(その他の棋戦扱い)のことです。無風凧の頭には、なぜか「特別名人」という名称で記憶されてました。将棋自身も面白かったのですが、観戦子もまた超一流が揃っていて興奮したことを覚えています。
http://animal-words.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/1976-f6fa.html
大内名人(敢えてこう呼ばせていただいていますが)の新橋での大盤解説会はまだ続いているのかなあ、、、?これも、連盟のHPなどでは紹介がないので、さびしいですね。
無風凧 拝
投稿: mufukai | 2012年12月 9日 (日) 06時54分
こんばんは。
全日プロ優勝の頃からの大内ファンですが特別名人の件は初めて知りました。
将棋の棋譜でーたべーすと言うサイトで、「名人戦復帰記念特別棋戦」(その他の棋戦扱い)と言うのを見つけたのですが、これのことでしょうか?
この名前で検索すると興味深い情報がいくつか見つかります。
また先頃刊行された大内延介名局集にも決勝の一番が掲載されていますね。
丸田・大山・米長・中原を薙ぎ倒した堂々たる栄冠で、連盟のプロフィールで「ほか1回」扱いされているのはファンとして無念としか言いようがありません。
投稿: ごんべえ | 2012年12月 9日 (日) 00時16分