熊の倫理、人間の倫理
アーバンベア問題が収まりません。人間にとっての「被害」はどんどんひどくなっているようです。秋田県では、自衛隊が活動を始めたとのニュースも流れています。
動物愛護家の方の、「殺すな」の声も、最近のネットニュースでは下火になってきているように思いますが、実際はどうなのでしょうか?報道機関には、そういった意味でも「正しく客観的な情報」を報道してほしいと希望します。
さて。
アーバンベア問題を論ずる時に、必ず出てくるのが、「棲み分け」問題。つまり、人の居住域、熊の居住域、そして、その中間としての「中間域」と3つにわけて、居住域から出ないように、中間域に出てくれあ駆逐、というような考え方です。
これって、的を射ているようで、実は何も解決していないのではないかなあ、と無風凧は思うのです。というのは、熊が「自分の居住域」に住むことの正当性を「理解」しなければ、単に人間のルールの押し付けになります。熊にとっては、居住域も中間域も、いや人間の居住域も差を認識していませんから。人間同士であれば、国境をつくれば解決できますが、それはお互い「自分の地域」を認識す、相手の領地を侵食しない、という倫理が働いているから。
熊にとっての倫理は「自分の餌を得る」事だとすれば、そもそも「棲み分け」で解決すること自体が熊にとっては理解できないことになるのです。
そこで。
少し夢物語かもしれませんが、無風凧はこういう方法を考えました。
特定の熊と人間(動物学者)でまず、何らかのコミュニケーションをとる。そして、ずい分先になるかもしれないけど、「棲み分け」という考え方を共有する。その上で、棲み分けすることを同意する。
相手が動物だから無理だ、と思う方も多いかもしれません。しかし、かつて言葉の通じない異国人どおしは、何らかの手段でそのコミュニケーションをとってきました。それに、メイヤーの「動物の言葉」にあるように、殆どすべての動物は、動物内のコミュニケーションをとりますし、人間と会話できる種も少なくありません。まして、LLMが発展した来た今、人間が熊の「言語=感情や行動意図」を理解することは、10年前に比べて、遥かに容易になっています。
ぜひ。
時間はかかっても、熊とのコミュニケーションをとる工夫をしてほしいものです。
(それまでは、駆除も仕方なし、ですね。)


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